2021年3月18日木曜日

ながいつぶやき(74)怒られると、「後ろに沈む」みたいな特有の感覚があった。

なんか、今日は全然書き始められない。
うへ。
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昨日夜中にちょっと電話をしていたら急に、「この身体、あまりに大きすぎる」という感覚にみまわれた。
この発声をしている主は誰なんだ、と、思考がパーティションでふたつに分かれて、あっちとこっちで別々で思考している、というような感覚である。
身体を操作する側じゃない方の、ただの「魂」部分の方は、とてもとても小さいのである。

身体感覚って本当は常に変わってるんだよねえ。

これで思い出したけど、昔学校で先生に怒られるとさ、きゅーんと自分の視点が後ろに引いて、広角になって、焦点がうまく合わなくなる、という、「後ろに沈む」みたいな特有の感覚があった。これって伝わるだろうか?

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体調の変化について。
「風邪」とか「頭痛」とか「吐き気」とか、名前で呼べる症状があって初めて「体調が悪い」と認識してしまいがちだ。
実際には身体の状態は常に変化しているので、これを「症状の名前」で把握しようとすると、細かいグラデーションを見逃してしまうなぁ、と思う。
「だるい」「集中できない」「目の奥の方に何かがある感じがする」とか、そういうのでもまだ不十分。
症状を伝えるのに特化したこういう言葉は、基本的には社会の中で、誰かに伝えるために用いるのが第一義の役割である。

自分のいまの身体の状態は、その時に固有の色、重さ、感じ、距離、などを持っているので、それを把握するのに、音声言語(またはその派生、頭の中で黙読(?)してもそう)ではあまりに要素がざっくりしすぎている。

自分の体調を「把握できている」という直感は、その把握への「対応が行われた」という、行動の中にしか存在しない。

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