2021年4月1日木曜日

ながいつぶやき(88)「ジャグリングの展示をつくる 9」

今日、初めて本格的に展示のことに取り組んだ。抜本的にまず展示の内容について改めて考え、メモ紙にいっぱい書いて、色々並べてみた。

本を書くのがまず先だ、と直感でわかる。

そのため、いくつか自分が手本にしたい本を並べて、それを取っ替え引っ替え読みながら、実際にB5用紙を折って、簡単な束見本みたいなものを作ってイメージをして、原稿も少し書いた。

旅のことについて、時間が経ってから思い出して書いてもなかなか面白くするのは難しいというのは、PONTEの頃からわかっている。書いたはいいが、本になっていない以前の原稿も、ベースとして使った方がいいだろう。えい、もう、腹をくくれ。

こういう時、本当に苦しい。でも、楽しいとも言える。

誰しもが通るんだ。こういうのは。決して特別じゃない。ちょっとでもいいものを生み出そうとしたら、そこには、誰だって理不尽なくらいの葛藤がある。挫折したり、妥協するのは簡単である。でももう発言をすると決めた以上、社会にいいものを一つでも増やすという気持ちでいなきゃ、ほとんどいらないものを作ることになってしまう。それだけは悔しい。いらないものを作るぐらいだったら、黙っとけばいい。でも黙っていられないんだったら、みんなが楽しくなるようなものを作らないといけない。

そして、自分で、「ここが狙うところだ」という線引きをしなきゃいけない。どうしても、人間は打算的になって、いい感じに落とし込めそうな、「みんなが妥協できるところ」みたいな、70%ぐらいのいいところを考えてしまう。そんなの、どこにも答えは転がっていない。そんなものない。

自分でなるべく高いところに線を引くこと。それこそがものを作ったり、何かを見せる人の責任だと思う。

「妥当な線」なんて存在しない。「まずはこれくらい」なんてものは存在しない。そんなものを狙っていたらいいものなんて作れない。いきなり一番いいものが作れないといけない。少なくともそういう気でやっていないといけない。

ここ数日、ずっと自分の水準が低いことが頭に来ている。不機嫌だ。そんなところに窓辺で猫を呼び寄せるために、「オイ、オイ 」と缶チューハイ片手に連呼する猫おじさんがくるもんだから、「ヨソでやれー!」と怒りたくもなる。

果たすべきことに対しての時間のなさを呪っているのでもあるし、自分が常に決断の先頭にいる、ということの怖さに向かい合うための、エンジンの鼓動でもある。

見てろよ、ほんとに。

※※※

展示の内容を生み出す作業と、それ以外のパソコン作業が両立する気がしない。

展示のことを考える頭と、そのほかのことをする頭が全然違う。1日の中でも、作業時間を分けないとだめだ。そして、なんだか僕は運が悪くて、こういう時に限っていつもより多く仕事が来たりする。翻訳、すごく多い。まいったまいった。

まぁ、やる。

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