2021年4月16日金曜日

ながいつぶやき(99)面白がってくれたら、勝ち。 面白がってくれなかったら、どんなに語り手の思いが強くたって、ダメ。

別にこの文章に意味はない。
律儀に毎日書く必要なんてない。
でも必要かそうでないかで人生を捉えるなら、生きていること自体必要じゃない。
毎日何かを続けるということは、必要であるかどうかとは全く別の次元の話だ。
言葉で明確に「必要性」を説いてくる人間にはくれぐれも気をつけるように。

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別にそういう体験が最近あったから言っているのでは決してない。
自分の頭の中に存在する別の人格について言っている。
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再び、「話を美化すること」について考えている。どうしても、思い出は美しくしてしまうし、自分の都合のいいように解釈してしまう。まるで自分を小説の主人公みたいにして扱うことを、大なり小なり人は自然にやっている。
それは、事実を歪曲している、ということなのだろうか。
「できるだけ真実を語るべき時」と、「あえて面白く言っちゃうべき時」の境目ってどこにあるんだろうか。知性を感じさせるための緊張感はどれぐらい保つべきなのか。もしも省ける部分があったとしたら、それは極力省くのが正解なのか、それとも…。

いや待て、そもそもそんなこと、どうでもいいんじゃないの、と不意に思った。

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語りについて言える評価の軸は、語られることが「面白いか面白くないか」それだけである。
自分を含め、聴く人が興味を持つかどうか。「語る意味」とか「正当性」とか「妥当性」とか「切実さ」とか、とにかく二次的な評価を作者が先に考えるようなことは、実に、全部どうでもいい。

なるべく面白いことを、面白がってくれる人のもとで語る、という以上のことを、考えるべきでない。

ギャグ漫画と一緒だ。

面白がってくれたら、勝ち。
面白がってくれなかったら、どんなに語り手の思いが強くたって、ダメ。

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