「ジャグリングの周り」について考えている。「ジャグラーがジャグリングをしていないとき」について考えている。
少し長めに、明日発行されるメルマガに文章を書いた。多分これは今回の展示の軸になるんじゃないかとおもう。これが本の前書きになってもいい、とすら思う。
自分がジャグリングで「これがいいのさ」と思っていること。
ジャグリングを通して持った意識。
ジャグリングがきっかけで出会った人。
技術だけではなくて、そういう要素が、その人のジャグリングの色だ。それは当然だと思うのだが、同時に、それがはっきりと外に表明されること、人の目に見える形で発信されること、ってなかなかないな、と思う。
そして、そういう「ジャグリングの技術以外の部分」が、クオリティの高い形式でせっせと発信されていくと、それこそ、一つの文化を形成する気がしている。
もちろん、余計なお世話かもしれない。なんだか、僕が全然世の中を知らないだけかもしれない。
ただ僕の頭の中には例えば、エリック・オーベリが Object Episodesでいつか言っていたような、「ジャグリングには、スケートボードとか、そういうところに比べると、カルチャーがなくて」(だいぶ雑に要約)ということがきっかけとしてあって、しばらくの間考えていたのだった。
「ジャグリング」という単語が一つあって、その単語から想起されることの厚み、というのか、まだ僕の頭の中でも言い方が固まっていないんだけど、そういうものが、つまり「文化」と呼ばれて参照されるものなんじゃないか、という気もしていて。
僕が個人として、少なからず、15年間ジャグリングという単語ととも過ごしてきたことを、何かもっと大きな流れに変換する、傍流から、意味のある流れとして合流していくには、そういう観点からのアプローチがもしかして有効かもしれない、と思っているのだ。
だからその始まりとして、今回の展示は、捉えることができるのかもしれない。
あるいは、とんだ勘違いかもしれないけどね(笑)
でも、少なくとも、そういう気でいるんだ。それが、楽しい。
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