2020年4月7日火曜日

コロナの定点観測 2020年4月7日

久々にこちらに戻ってきた。
ええとね、ツイッターで、見たんだ。フヅクエ、というカフェを経営してらっしゃる方が書いていた。
今こそ日記をつけるタイミングだ、と。
一週間前に書いたことが、遠いと。

あー、確かに、書いておけばよかったな、と思う。
まぁ、ひとまず今日から書いていく。

今日もほぼ一日中家にいた。朝7時くらいに起きて、本を読んだり仕事をしたり。
一度外出し、髪を切りに行った。
それと、スーパーのATMに用事を済ませに行ったりはしたか。
でも、そんなもの。あ、そうだ、パン屋にでも行こう、と思って、バイクでパン屋まで行ったが、10時から15時までの営業で、そのまま帰ってきたのだった。


そうだな、ほんのすこし前の22日まで、大学時代の友人と4人で出歩いてたな、ということをまず書いておこう。ギリギリでそういうことができた。
まぁ、もうすでに危ない、ということは言われていたんだけども、特別な罪悪感や危機を感じる、と言うこともなかった。まぁ、クラスター感染、と言うことは散々言われていて、友人の1人が数日前にリスクの高いところにいたと言うので、家から追い出されたような形になっていたが。


それでさ、今少しだけ怖い想像をしている。
それは仮に明日、関東を大地震が襲ったらどうしよう、ということである。
こんなことは、怖くなってしまうから言いたくないし、人によってはこれを読んだだけで、生活するのが嫌になってしまうかもしれない。
でも、これは厳然たる可能性として横たわっている。
2011年を体験している僕らはわかっているはずである。

だからさ、僕はこうも思うんだ。
日常に「戻る」という思いを抱くのはやめておこう、と。
別に悲観論ではない。
ただ、「災害はあってはならない異常だ」みたいには、絶対に考えないようにしよう、と言うことである。
およそ自然を相手取って、「あってはならない」ことなんてない。
無差別にただ「起こる」のが自然災害である。

それを身体的に受け入れられるように、精神を整えておく。

次は、新しい日常のあり方が立ち現れてくるんじゃないか、と本気で思う。
でもかといって、3.11の後散々心が動かされたけれども、なんだかんだで「日常に戻った」というような思いもあり(もちろん、「なんともなくなった」なんてことは断じてないのだが)結局後で、「思いつめすぎだったね」というようなことを、言う、かもしれない。


でもやっぱりなぁ、もうね、少なくとも「もとどおり」にはならないんだよ。
今は少なくとも、そういう気分でいる。


さて以下は、これから毎日、後で忘れそうな、今の日付でどれぐらいの意識でいるか、ということを書いておく。

・2週間ぐらい前までは、まぁ、言うても5月ごろには終わっているだろう、というなんとなくの楽観視があったと思う。

・少なくとももうこの数日では、「ああ、これは夏まで続くんじゃないかな」と言う気がすごくしている。そして、もう一ヶ月も経ったら、「頼むから今年中で終わってくれ」くらいの意識に変わっているかもしれない。

・5月の京都のジャグリングイベント、なんらかの形でできるんじゃないか、と言う気がしている。

・7月のEJCに関しても、そういえば、2週間ぐらい前まで、「まぁとはいえ夏のイベントは流石に影響を受けないだろう」と思っていたように思う。

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