2020年4月8日水曜日

コロナの定点観測 2020年4月8日

 ほぼいちにち家にいて、パソコンで翻訳。
 この記述を、例えば20年後の俺はどう見ているのかな。楽しみだね。何をしてるんだい。落ちぶれてるのかい。全然違うことをして、楽しんでるのかい。それとも、20年先に僕はいないのかな。
 途中、玉ねぎとひき肉、カレー粉、豆乳、卵、メンチカツ、ハムカツを買ってきた。交通費も何もとにかくお金がかからないことと、家にいてなんだか食べるくらいしか刺激がないことで、食べ物にかけるお金が増えてきている。
 100円のメンチカツですら、今まで買うの、少しためらっていたからね。
 本当は、コンビニにお菓子と新聞を買いに行こうとしたのにね。八百屋とコープに行ってしまった。八百屋、いつも通りだ。コープ、いつも通りだ。少し人が多かったかな?でも品数も普段通り。
 いちにち合計500mも歩いていない気がする。こんなことは、今までなかった。何か運動をしなきゃ。
 というわけで、逆立ちを鍛えている。あと、柔軟している。ベターっと、だね、みんなに次会う頃には、ベターっと、逆立ちでスラーっと、なっているから覚悟しておれ。

以下ランダムな雑想。

-「いつ死んでしまうかわからない」というのは、いつだって同じだ。今になって特にそれが意識されるというだけであり、死とは常に隣合わせ。

-もっとひどい経済状況にあったり、犯罪が多かったりする世界はごまんとある、ということも頭に入れておきたい。「日本はこんなにひどいんだ」とも思うが、同時に、「日本にいて今のところ三食飯が食えている」ということはまだまだ揺るがない。

-人間は、かくも「物語」を勝手にこしらえるものなんだな、と思っている。僕は、コロナのニュースを聞くたびにいちいち壮大な「世界」、あるいは「日本国」という頭の中だけに存在するものを想起し、そこに事件をプロットしている。「このままだと大変なことになる」というのは、いう権利を十分に保持すべきことでありつつ、でも、まぁ頭の中で起きていることでしかない、ということにも自覚的であるべきだろう。あと、言葉って全部妄想ですね。妄想と呪力だ。それが切実な時もあるんだけどね。

-『ストリートの思想』という本を読んでいる。
 「こうした二項対立の擬似的な政治から逃れる方法は、安易な問題設定から逃れて、自律した政治の空間を先に作り、そこでさまざまな政治的事象について語り始めることである。二項対立から逃れそれに先んずること、それがストリートの思想の可能性なのだ。」(p.200-201)とある。自律した政治の空間、ってのは憧れる言い方だな。

-語学ブログを始める。

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