2022年7月15日金曜日

ジェット噴射と動的平衡、「同じ」を保つために変化する

 自身がどういう時に充実を感じるのか、ということについての個人的な研究をずっと続けている。というか、別にそんなふうにハッキリと思って日々生きているわけではないのだが、振り返るとそういうことを念頭に置いて日々動いている感じがする。俺はどうやったら落ち着くんだ、どうやったら集中できるんだ、どうやったら幸せだと思うんだ、と、トライアンドエラーの繰り返しで、これは一生続くのだろう。なんせ、一度作り上げたシステムが一生続けられるなんてことは、現実にはないからだ。いや、同じ「ような」システムが一生続くことがあるとは思うのだが、それは、たとえば同じスーパーカブという名称の商品でも、常に時代に合わせて細部を変えていたり、エンジンの効率を研究していたり、使用する原料を最適化するように、「同じ」を保つということは、実は「そのままでいい」というズボラな態度ではダメで、むしろ常に研究が要請される、地味な労力をかけてメンテナンスをしないといけない、大変なことなんだろうと思う。日々変化すること、やわらかくいることが、同一性を担保する。

 今頭に浮かんでいるのは「動的平衡」という言葉でもある。あとは、機体の飛行みたいなイメージもある。ジェット噴射で大事なのは、そこで何かが燃えて、推進力になっているということであって、それが途切れない、というのがいい。あとは、うまいこと翼を微調整して、その噴射による推進を調整する。飛ぶためには、まずは燃やす。燃焼効率が悪いなぁ、と思うかもしれないけど、とにかく、燃やす。

 昨日は配達を多めにやった。昼の時点で、定めていたノルマ分はほぼ終わっていたのだが、頑張れる時に頑張った方がいいんじゃないかという予感がして、10本多めにやった。結果としては、「期待されているより倍ぐらいの成果を達成している」というときは自信を持って満足を感じられるらしく、その後の動きが良かった。机を片付けて、紙とペンを置いて、じっと過ごしていても罪悪感がなかった。焦りを無くすための技術だ。ぎゅっと抑圧された状態があって、初めてバネが伸びる。自分が自分にどれぐらいの期待をしているか、そしてそれを上回るために、冷徹に時間を使うにはどうやって組んだらいいのか、それが具体的なテーマ。今日のところは、「とにかく時間で区切る」ということなのだろうな、と思っている。

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 ちょっと関係ないけど思ったことがあって、僕がPM Jugglingの板津大吾さんと対談で話すと、自分でもいい感じだと思える言葉が出てくるのは、そこで他者に対して説明をしよう、なるべく開こう、自分とその周りでしか通じないようなジャーゴンも避けよう、安心はしているけど、小さな内輪ではない、海を探るような言葉にしよう、という意識が、自然に働いていたからじゃなかったか。自分が納得するために他の人と話をする、というのは立派な方法で、たとえばそれは、怒りが収まらない時に人に愚痴を言うと改善したり、悩みがあるときにただ聞いてほしい、という場合とも共通である。

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