2022年11月25日金曜日
まさつはいやし
2022年11月24日木曜日
教えながら学んでいる
今日は昨日と比べて特別書きたいということはないのだけど、一旦意識を解放する。10分間ぐらいかな。素振りはなんたって毎日、定量が大事である。やることが多岐に渡っていて、でもそれは悪いというのではないのではあるが、なんだか、まとまりがなくて嫌だな、という時もある。ざっとあげるだけで、翻訳を二人から定期的にもらっていて、文字起こしのバイトをもうかれこれ6年間ひとつの事務所からもらっていて、それに加えて最近は毎週逗子に行って中学生に英語や数学を教えていて、納得できるぐらいまで絵を描き、そして2月の台湾に向けてジャグリングのことを考えている。その合間にいろんなイベントが入ってくる。断ればいいんだけど、なんだか僕は、基本的にはイエスマンなので、どんどん予定を入れてしまう。それでいて、もう一冊本を書こうとしていて、その合間で、今まで溜まった原稿をまとめようとしている。外国語のメンテナンスだってしているのだが、でも、こうして書き上げてみると、大したことはない。じゃあ何が邪魔をしているのか、と思うが、きっとそれは迷い、である。迷いなく次から次へと、とりあえずやらないといけないとわかっていることをどんどんやっていれば、勝手に終わっていくのである。多分今の半分の時間でできる。今日だって、絵を書くのは夜にしようと思っていたけど、そんなことを考えながら、もうなんとなく筆をとってしまって、サラサラと描いたら、いつの間にか終わっていた。そういうものである。怖くなる前に飛び込んでしまう、ということが、たくさんの物事をやり切る秘訣である。この文章だって、ああ、今日は書かなくていいかな、と思いながら、もう画面を開いて、描き始めてしまうのである。本当は、今文字起こしをやっていて、今日の夜までに、ということだったので、一分でも早く終わらせたほうがそれはいいのだけど、でも、いや、まぁ、やり始めたほうがいいかも、と思って、パッと開いてしまった。このスピード感が大事なのである。自分が気づくよりも先に始めてしまう、ということである。
今日は二つのことがうまく行った。ひとつは、ジャグリングの演技について、少し先が見えたこと。本当は、全部全部新しい演技を持っていこうと思っていたのだが、それを諦めることにした。ただ、これから先のことをも考えつつ、これが終わりじゃなくて、これから続いていくんだ、というこれから毎日何をするのか、ということを考えて、発展の予感は、頭の片隅に置いたまま、自分が一番安心できるセットは何か、ということを考えていくのだ。それこそ、もう時間がない。体育館もとっているけど、現実的には、あと多分10回も行ったらもうそれで本番がくる。となると、なるべく新しいことは少なくして、堂々と見せられるものを鍛錬したほうがいい、と思うのである。もちろん新しいものが見せられたらそれはそれでいいけど、台湾に行って僕がジャグリングを見せる相手は、9割9分9厘が僕のことを知らない人である。自分の中での新しさ、というのは、ここでは価値を持たない、としておく。ただ、自分がイキイキとやれることが大事なので、少なくとも今回に限っては、今までのものにより丁寧に向き合う、ということにする。自分にとっての定番の演目を磨く機会だと思ってやっていく。でもその中で並行して、自分なりに見つめてみたいテーマ、で、演技を作ることもしていく。今日は技術的な練習を主にしていたのだが、やっぱり、アイデアは、技術が先行して生まれるものだと思った。結局僕が見せているのは技術なのである。
そして二つ目、いいことは、なんとなく英語を教えるときの流れができたこと。教科書通りにやればいいや、という結論に達した。今まで、自分なりに教材を見つけてきたり、なんだかいろいろしていたけど、もう、いいや、これで、と思った。でもこれは功を奏して、一冊の本に向き合ってやっていると、これからどれぐらいのことをやるのか、これまでどれぐらいのことをやってきたのか、ということが可視化されるので、多分僕も相手も取り組みやすいだろうなと思った。
これまでの量とこれからの量がはっきり可視化されているというのはいい。やる気になる。もちろんそれがオープンエンドな追求であることはわかっていながら、僕らはやっぱり有限の中を生きているので、一旦区切りをつくて、そこそこ上達した自分を目指して、まずは量を決めてやる、ということである。僕は教えながら学んでいる。
2022年11月23日水曜日
書くための文章と裏切られてもいい期待
文章を書くという作業の中で、素振りにあたる訓練はなんだろうか、僕はそう考えて、それは、とにかく頭に浮かんでくる文章を、そのまま音のまま、保存するような気分で、こうやって移しとるということなんじゃないかと考えた。僕は自分の思考のスピードに追いつく、という経験を一日の中のどこかでしたがっているんだと思うのだ。だからこうして、ただ書くということを通して、どうにか、何か思念を形にするということをくりかえす。読まれるということが重要なのではなくて、ただ読まれる前の文章が存在する、というような、そういう時間が必要なのである。この文章は読まれる必要がない。それはちょうど、僕があー、とか、うー、とか、そういう、意味をその影に持たないような、言葉以前の呟きを漏らすことと同じで、ただそういう時間が必要なのだ、ということなのである。それは全体性のバランスの回復、ということでもある。つまり有意味なことを生産し続けなければいけないというプレッシャーの、その反対側にあることを、同じくらいの分量なすべきである、ということである。ぼくは今これをiPadにBluetoothのキーボードをつなぐことで行なっている。これはこれで適切な装備だとは思うのだが、同時に、本当は、手書きで何かを書いた方がいいような気もしている。それは、僕の中に、やっぱり「書く」という行為は、文字を、紙の上で引っ掻くというアクションを通して行う、より身体のストローク、圧迫、そういうものを通じて何かを現出させるという状態を通して何か実感を得たいという欲望があるからであろうと思う。時に僕は、量を求める。なんの意味もない、量を求める。それはただ歩きたい、ただ踊りたいただ歌いたいという欲望に似ている、というか、それらは全て同根であって、ただこの所在なさを埋めたいというそういう欲望である。どちらもある、ということが大事である。意味を求められる意識が先行した世界に僕らは普段生きていてそれは人との関係、という中でだけ効力を発揮することなのだがそれとは全く反対の世界にある、自分自身が何か中にあるものを出したがっているその気持ちをただ満たすために存在する行動がやはり僕には、僕らには、必要なのである。公開する、という手続きは、そのプロセスをスムーズにしてくれるきっかけにすぎない。
僕らにはお膳立てが必要だ、友達も必要だ、でもその友達、というのは、つまり、何か自分が感じている欲を、スムーズに外に表出させることができるというそういう意味においての、触媒として求められるものである。でも、日中の世界では、そこには意味が必要とされる。そういう制限の中で生まれるものには、より、一般性があるわけだが、一方で、個人の欲求とは離れている。離れている部分がある。僕は詩が読めない。それとも少し関係している。意味のつながりがなくても、文章を音として、音楽として楽しむことはできる。ちょうど歌がそうであるように。ただそこに、意識の片鱗を記録したものとして、普段とは違う言葉遣いの文章が用意されているというだけでいい。ただ、何かを、文章を書きたいということがあるのだ。
誰を書きたいか、ということ。誰を書きたいのか。何か、誰かを描きたい、というときがある。僕は、自分の中にいる誰かを書きたい、というときがある。それが絵になることもある。僕が絵にして描いている形、その形状は、僕の中にいる誰かである。でも誰かは、形を持っていないからそれに暫定的な形を与えてあげて、ただ、それが僕の中にいる誰かであるということを一旦の解答とするのである。自動筆記と何が違うか。自動筆記が何か僕はよく知らないから、何が違うかはわからない。でも、とにかく大事なのはそこに量があるということである。自分が生み出した量を前にして何かを感じたい、ということ。素振りには癒しがないといけない。意味を求められて生きている中で、意味がない行動を淡々と、でも、そこに量がある、ということにいかに癒しがあるか。僕はそれをよく考えないといけない。考えるというのは、頭の中にある、ということではない。むしろ、頭の中から外に出てくるということだ。思念というものがどういう形をしているのか僕は知っているか?知らない。見たことがない。イデア、というものがあったとして、それがどういう形をしているのかは、やっぱりかりそめの姿を通してしか知ることができない。僕が生み出すものは、ただ、予測変換をどんどん繋げていったものでもいいのか。よくないだろう。それはなぜか。そこには、自分の頭の中にあるものが一切入っていないからだ。僕はただ量を生み出したい、というのではないのだ。僕は、いつでも頭の中に何かを考えながら生きているんだぞ、というその実感を、なんでもいいから具体的に目に見える、指で触れる耳で聞ける舌で味わえる、そういう具体的なものとして知りたいのだ。あるいはこれは誰しもがわかっていることであって、古来より人間がずっと、歴史の中で体現しようとしてきたことであって、人類の歴史から見たら、何も重要なものではないことであると同時に、個人としての生き方の中では、非常に重要な役割を持っているとも思う。混沌を現出させたいわけではないのだ。むしろ秩序を望んでいる。自分が考えていることが綺麗な形に、整った形になって外に出てくることを望んでいる。でも、そうしようと思うと、考えが外にでてくるそのコースをひん曲げたり途中で止めたりして、とにかく面倒なプロセスを通さないと、日常生活で汎用性のある「意味のあること」として出すことができない、ということを知ってるはずである。だから、ただこの、頭の中にある形を、なんとかしてそのまま捉えようとして、こうして推敲をしない生のままの文章という形にしている。この場合の綺麗さ、というのは、思念が頭に浮かんでから、キーボードに指が触れ、それを押しそしてそれが電気的に画面に伝わり、文字となってディスプレイに映される、という時間のずれを通して実現されるものである。この時間のずれ、ということが、1番大事であると同時に、致命的な、想像の躍動感をうしなわせる恐ろしい存在でもある。自分が思った通りに何かが作れるということは、ないのであるが、その思い通り、ということの定義をどう捉えるか、そこには深い海がある。だからやっぱり、全部ある、っていうのが大事だ。こういうふうに、一見したら論理なんかなさそうで、つながりなんかよくわからなくて、人に読ませる気もなさそうな文章が大量に存在している、一方でとても整ったもの、それは、ある意識の中での意味内容の発生からその具現化までに多くの編集を経て、整っているものも、大量にあるという、そのどちらもあることによって、初めて自分にとっての、充実感があるのではないかという感じがある。パンにする以前の生地のような状態も見てみたい、そういうふうに思ってこの文章を書いたんだ、と今の僕には納得させられる。作品になる前の、原料、鉄として精錬される前の鉄、そういうものを、見ておくこと自体が癒しをもたらすのである。へえ、こういうものでできているんだ、って思うからね。あとは、素振りがやりたいんである。運動としての書くこと、というのはつまりこういうことだ。行為としてただ書くことがそこに存在するというのはこういうことだ。「書く」という一つの単語の裏には、たくさんの他の身体的動作が混じっている、ということを常に意識する。そこには、まず紙を用意すること、パソコンを開くこと、場所を選ぶこと、文章が書き出されたのちに、それをどのタイミングで推敲するのかということ、その出来上がった何かを、発表するのか、本にするのか、本にするなら、どの程度気持ちを入れた本にするのか、とにかくそこにたくさんの、「思念を文字にする」ということ以外のアクションが入っている。つまらないだろう、意味ばかりあると、疲れるだろう、意味ばかりあると。僕はそれを自分に対して言ってあげたくて、こんな文章を書いている。自分がしたいことに夢中になるっていうのはつまりこういうことで、全然人から見たら何を言っているのかわからなくたっていいじゃないか、というようなことを、とにかく自分でも呆れるぐらいの量行うこということである。文字起こしも残っていて、明日も早起きしたいし、こんなことをことをしている場合じゃな、いというそういうことも、それも意味に縛られている、というふうに解釈する。やるべきことなんて本当はないのに、やるべきことがあると思い込んだ方が楽になるから、生活の上でそういうふうにしているだけで、本当はもっと向き合うべき感情があり景色があり、感触があり、だって、猫がどういう毛の生え方をしているか、どういう手触りを毛をしているのか、それだけだって、いっぱい味わいたいじゃないか、だのに明日のスケジュールのことを心配しているのも、なんか、全然違うじゃないか。ネットの海に漂っているいいものを見ている場合じゃないじゃないか。見ているんじゃない感じるんだ。感じるのである。感じるためには、ただ書くことだけが必要なこともあるしただ描くことだけが必要なこともある。「見られる」と「全然見られない」、の中間ぐらいに、「意味がすっきりしている」と「意味が全然わからない」の間に、このような素振りの文章があるということが1番バランスがいいかもしれない。少しは期待をしているということだろう。でも、それは、裏切られてもいい期待なのである。
2022年11月11日金曜日
台湾まで 2
現在昼の二時。今日は、朝に少しボールを投げただけである。投げているだけまだマシで、僕はそんなにジャグリングをする人間ではない。それを受け入れることがむしろ、スタート地点である。「だから諦める」っていうのではなくて、むしろそれを利点にしていくイメージ。ジャグリングにそこまで入れ込んでいないからこそ、の自分に、勘違いに近い自信を持っちゃうイメージ。
昨日は昼に体育館で自主練。急にたくさん練習し始めたからか、割と派手に肩を痛める。ポイみたいにぐるぐる回していたらピキっときた。その後、少し「本屋の二階」で仕事。下で印刷作業をしていたAさん来た。降りて、少しお茶しながら話。さっと話して、さっとどっか行くのがいい。その後野毛の体育館に移動、YDCへ。以前メンバーとしてよくYDCに来ていたティム(ドイツ人)が遊びにきていたのだ。でも参加人数少なく、ちょっとティムは寂しかったかも。マイケさんという彼女も一緒に来ていた。ティムは日本語話せるが、マイケはドイツ語英語のみで、僕は久々に英語を話す。英語を話すのも、久しぶり。俺は台湾に行ったら中国語で話したい。演技以外にも、ちょっと中国語を真面目にやりたいな、と思っていて、でもそれはずっとただの希望のままで終わっていて、本を借りてきたり、何だかんだしているんだけど、全然それを実行する時間を持っておらず、まぁ、でもあと3ヶ月しかない中で、中国語に時間的なリソースを割くぐらいなら、それをジャグリングの練習に当てた方がいいじゃないか、とも思うし、一方で、ジャグリングよりも語学をできる方が、なんかパフォーマーとして面白くなる可能性、あるんじゃないか、みたいなことも頭の片隅にある。でもそれが中途半端でもしょうがないんで、まぁどうしようかなぁ、みたいな感じである。
演技について、体育館だけではなくて、外でも考える、というのが次なる目標である。体育館以外で、よく練って、試行錯誤して、それを体育館で試す時間、なるべく体を動かしている、という状態でありたい。こんなのは基本的なことなんだけど、でも、「基本的なことができる」ということ以外に、手を伸ばす方法ってないなとも思う。
2022年11月10日木曜日
台湾まで 1
台湾で2月にパフォーマンスをする予定なのだが、どうも不安で不安で仕方がない。どうもこの原因は、不安の中身がなんなのか、自分でも具体的に理解できていないからだ。そこで、何か作品に昇華するようなつもりで、日記のような形で毎日、その不安について書いてみる。もし途中で不安でなくなったら、それはそれでいいかな。今度は、「人前で演技をする」ということについて、考えるような内容になっていくかもしれない。あるいは、こんなことに時間を割くのは馬鹿馬鹿しいと考えて、書くのをやめてしまうのかもしれない。とにかく毎日何かを書いて、意識にのぼらせればそれで十分。少し編集して、それをずっと休んでいたメールマガジンの内容にしてもいいかも。僕はすぐ突発的にこういうことを始めるのだが、まぁ、それがいいと思ってやっているんだから仕方がない。
まずは経緯について。新型コロナウイルスが流行り出すまで、僕は一年に5、6回は海外に出て、ジャグリング関係のイベントに出ていた。ところが、2019年の8月にイギリスに行ったのを最後に、一度も海外に出ていない。そこで、だいぶ状況も落ち着いてきた2022年の夏に、そろそろ海外に行きたいなぁ、と思い出した。とりあえず、ビデオでもネットに載せて、ぼちぼち宣伝というか、僕はジャグリングをしていますよ、と知らせてみようと思った。そうしたら、それを実行したその日に、台湾でフェスティバルを主催している人から「来年台湾で演技したいか」と聞かれたのである。そのビデオ自体は、全然演技でもなんでもなくて、ちょっとした小ネタのようなものだったのだけど、それだけで、誘ってくれたのである。運がいいなぁ、と思ったが、同時に、いいのだろうか、という思いがあった。主催の人が生で僕の演技を見たのは、10年前である。それで呼ぶんだから、大した度胸である。そんなに重要な役どころでもないのだろう、と察せられるが(あとは、僕が暇そうだし、二週間スケジュールを開けないといけなくても、呼んだら来るんじゃないかという打算もあったのだろう)。それでも、わざわざ台湾に呼び寄せるのだから、最低限いいものを見せたいなと僕は思うわけである。
先週から、近所の地区センターの体育館を週2、3回のペースで借りている。そこで練習。一回は3-6時間。だが、今のところあんまり演技作りは進んでいなくて、リハビリのような感じで終わってしまう。これじゃああかんな、と思って、体育館にいる時以外にもジャグリングのことを考えようとするんだけど、あんまりうまくいかない。そもそも、今手元にある仕事が多すぎるような気もする。毎週、逗子まで行って英語を教えて、数人の人から不定期にアルバイト的に文字起こしや翻訳の仕事をもらい、自分の本を書いたり、毎日絵を描いたり漫画を描いたりしている。どれも本気でやりたいな、と思うのである。じゃあやることを増やさなければいいのだが、やりたいと今思ったことを我慢する、ということがどうも不健康な気がして、ついやってしまうのだから仕方ない。
今、台湾に出発するまでの日数を数えてみたら、98日しかなかった。3ヶ月とちょっとである。なるべく余裕を持ってやりたいから、今までやってきた演技を使い回すかなぁ、という気持ちでいるが、何か付け足してもいいなぁ、と思う。
観客と触れ合うところで、何か変えてもいいかもしれない。
2022年11月7日月曜日
全部やる日記 19
2022年11月6日日曜日
全部やる日記 18 身体がやりたいことと、そのさき
2022年10月23日日曜日
全部やる日記 17 大阪のからだ
2022年10月20日木曜日
全部やる日記 16 「いいのかなぁ」と言いながら
2022年10月11日火曜日
全部やる日記 15 どうしようもなくなるための自転車
事故にならないよう、バイクに乗っている間の僕は、気を張りっぱなしだ。周囲のちょっとした気になることへの興味も、敢えて閉じるようにしている。だからバイクに乗っている時の僕は、オープンエアで颯爽と街を楽しんでいるようでいて、実はほとんどの物事を見落としている。
自転車で1時間弱も走ると、とても遠くに来た感じがする。実際に僕がいるのは、いつも通っているカフェだ。バイクで来れば15分もかからないところ。でも受ける印象が全く違う。何かを成し遂げたのだ、という満足感と共にコーヒーをすすることになる。また、帰る時にも少し苦労して帰らないといけない、という予感があって、それがますます、今いる場所を特別に感じさせる。
2022年10月10日月曜日
全部やる日記 14
演じることについて 1
2月に台湾で開かれるサーカスフェスティバルに招待されている。なんで僕なんか呼んだんだろう、と思う部分もあるし、いや、やってやろう、と思う部分もある。なんにせよ、不安だ。不安があるから、何か積み重ねている実感がないと落ち込んでしまう。やる気があって依頼を受けているんだけど、自分が舞台に立つ人間であるという事実が遠く感じられている。最後に舞台に立ったのは3年前だ。
今日は少し研究をしていた。JJFの配信を見たり、他の動画を見てみたり、文章を書いて考えたりする。でも、お客さんの前で何かを演じる、という行為を通してしか、お客さんに何かを見せる技術は磨かれないんじゃないか、という気もしている。だから、自信がなくなっちゃうのだ。そんな経験、これから数ヶ月でそうできるもんじゃないよと。
でも一方で、いや、これはむしろ、生活の問題なのではないか、という気もしている。
もっと根本的に考えてみよう。僕はお客さんの前に立って何がしたいんだろう。何か、いい時間を過ごしてほしい、というふうに思っているんじゃなかろうか。人と人としての、ある種の対話をしたいと思っているんじゃなかろうか。
https://note.com/jugglernao/n/ned2f696be393
2年と少し前、僕は大吾さんと、公園に行って道具を作った。自然の中で道具を作ることが「デトックスだ」と大吾さんが言う。これを、僕は今改めて、いいなと思った。
ジャグリングの道具を作るという行為は、ジャグリングと関係のある行動だけど、それがもたらしている癒しは、ジャグリングそのものに依るのではない。ジャグリングを介して、人が自然の中で触れ合っている、そういう感覚である。
その感覚を、より磨くことはできないか、そんなことを考えている。僕はそんな演技をできたらなぁ、と思う。「五感に常に何か不規則な入力がある」ような演技。「演技」と言うからいけないんだろうか。技、というよりも、僕は僕がいることによって、その空間がどこか明るいものになったな、面白いものになったな、とそういう感覚を感じたい、とどのつまりはそれだけなのである。それをより洗練させてやる、というただそれだけのことなのかもしれない。
ただそれだけ、ではあるけど、一生追い求める課題だ、とも思う。
ジャグリングから一段降りて、「自分が人に普段見せる姿」について考えている。
※※※
2022/10/10
今日は久々に、以前70日間連続で通っていたむさしの森珈琲にきた。よーし、文章を書くぞ、と言うつもりできたのだが、結局動画をみていた。文章はまた、帰ってから、4000字を頑張って書こうと思う。
やっぱり僕は、方法的に書く、ということをしないといけない。書きたいことはいっぱいあるんだけど、「上手く書けないこと」を恐れて全然書けないでいるのだ。
絵は、別に無茶苦茶上手くはないけど、毎日書けている。それはやはり、ハガキ大に一日一枚、と定量を決めているからである。文章でもそれをしなくちゃな、と思っている。
2022年10月4日火曜日
全部やる日記 13
2022年10月2日日曜日
全部やる日記 12
僕は今、最高にやる気がない状態が続いている。惰性のようなインプットしか身体が受け付けない状態になっている。あんまりいろいろなことに興味が湧かない。やらなければいけないこともたくさんあるけど、それに向かおうと思うと、虚脱感がある。寝不足かもしれない。運動不足かもしれない。住環境の悪さかもしれない。何か、自分で小さな一歩一歩を積み上げて大きなことをしよう、という気力が湧かない。
2022年9月29日木曜日
全部やる日記 11
2022年9月25日日曜日
全部やる日記 10
2022年9月19日月曜日
全部やる日記 9
このままでは一日が終わってしまう、と思って、猫を置いてとりあえず家を出る。みなとみらいまで行こうと思ったが、生活綴方に寄ったら、話したい人たちがいたので、少し話をして、それから結局綴方の本屋の二階で仕事をしていくことにした。
2022年9月18日
2022年9月18日日曜日
全部やる日記 8
2022年9月17日土曜日
全部やる日記 7
2022年9月16日
2022年9月16日金曜日
全部やる日記 6
2022年9月15日
2022年9月15日木曜日
全部やる日記 5
2022年9月14日
2022年9月14日水曜日
全部やる日記 4
朝から事務所(タリーズ)に。朝は集中できていたようである。昼になって、母が来るというので、妙蓮寺駅まで迎えに行く。生活綴方の前にあるイタリアンでランチ。母はワインを飲んでいた。妙蓮寺にはワインの専門店もあって、この町の様子をすごく気に入ったようである。いつもは車で来ちゃうけど、車で来るところじゃないね、歩いたほうが楽しいね、と言っていた。そのあと僕の家にきて、猫のぽんを見ていった。ぽんは見知らぬ人が来ると、警戒して押し入れの中で身を潜め、ご飯もあまり食べなくなる。母は気を遣って、少しだけちゅーるをあげて帰っていった。妙蓮寺とは反対側、白楽の方面へ歩いて帰って行った。後でメッセージをしたら、白楽はあまり面白くなかった、という。妙蓮寺の方が気に入ったらしい。でも、母はまだまだ元気だな、と思った。父も、今年七十になるけどまだ元気で、白髪は増えたけど、一般的な七十歳の像よりは若々しいと感じる。きっちりしているのが好きで、やっぱり保守的な感覚を持ち合わせている、と感じる。でも僕がこうして特に定職にもつかず、何をして生活しているんだかわからないふうでも、別段文句を言うわけでもなく、ただ何かあったら頼れよ、というような態度でいてくれるだけ。
2022年9月13日火曜日
全部やる日記 3
昨日は朝からタリーズ。昼の一時に一旦家に帰る。猫に餌をあげ、シーツの洗濯をし、三十分昼寝をした。このままだらけた状態で、どこにも行けず四時半を迎えてはなるものか、と起き上がる。地区センターに、今夜の体育館の予約をとる電話を入れてから、再びタリーズへ自転車を漕ぐ。この新店舗は二年ぐらい前にできた。店内が綺麗だ。駅の中にあるせいか、イギリスとか、ドイツにあるような、今まで行ってきたヨーロッパのカフェを思い出す。家を出るときは嫌な気持ちでも、着いてみると気分は良い。そのまま5時まで机に向かう。
一度帰宅し、ジャグリング道具をもって、綴方に行く。着いたところで、Beleafカフェから出てきた俳優のほのさんと、ご近所の綴方店番ベテラン砂田さんに会う。二人とも、バックパックに付いたディアボロに興味がいく。店番の中島さんに綴方で挨拶をしてから体育館に行こう、と思っていたら、店から柏井さんが出てくる。サプライズサプライズ。ツイッターを見ていて、そろそろ柏井さんに会えたらいいなぁ、と思っていた矢先だった。仕事先でうまく行っていないことがあるようで、ほのさんと二人で話を聞く。そこに店長のまさよさんが来て四人で話す。ほのさん、この日記を読んでくれたようで、僕にも元気ですか、と声をかけてくれる。
こういう、ピンポイントで私的な部分を共有できる友人というのが大事だよね。根本的にはみんな一人だ。その時間を、それぞれが巨大な円の接点で共有している、これが心地いい。ベン図みたいに、ズズズ、と共通の部分を持ち始め、だんだんとその共有面積が大きくなっていって、半分ぐらい重なりあった時に、最終的に、古典的な家族に近づいていく。でも本当のところ、家族と言ったって別にそれほど多くのことを共有しているわけでもない。大半の時間は、人は一人でいる。
柏井さんの話を聞いていて、それぞれが、それぞれの場所で、人に見えないところで、息が詰まったり、開放的になったり、暗く沈んだり、明るく笑ったりしているんだ、と感じた。そうだよね。人に会うときは皆、その場所の一部となる。風景であり、会話と、場所を構成する一要素になる。でも人に会っていない時、僕らは一人で、こころになる、と思う。自分が考えていることしか眼前にない。身体を失い、こころになる。でもだからこそ、そこで何かが生まれる胎動も聞こえやすいような気がする。身体を失っている時はいいものができる。こともある。他者もないが、自分の身体もない。ただこころがある。
直前で声をかけたそいそいが体育館に遊びに来てくれる。二人でジャグリングを練習する。隣で「インディアカ」というバレーボールを羽根突きの羽根でやるようなスポーツを隣で練習していたお姉さんが、そいそいが回していたラバーを見て、「そのピザみたいなのはなんですか?」と聞いてくる。「ピザです」と答えた。
※※※
今日は実に集中できている。やることが決まっているからだろうか。それとも、昨日よく動き、よく寝たからだろうか。多分どちらもである。やっぱりUberの配達を、自転車に切り替えようかと思っている。稼ぎは減るだろうが、でもいずれにしても配達仕事は減らして行き、なるべく近いうちに無くそうと思っているからちょうどいい。配達はスポーツである、と捉えて、それさえも創作のアシストにしてしまうつもり。この日記は、こうやって自分の予定を書き込むところなのだ。自分の希望を、具体的なプランに落としこむ場なのだ。ただ「こうだったらいいなぁと思う」と書いてそれで終わるのではなくて、具体的に実行したいことを、覚悟を持って書く場所でもある。こういうことって、自分の中での一貫性、つまり流れが大事で、僕がこういうふうに書いていることを読んで「なんだあいつ調子のいいことばっかり言って」と思う人もきっといるんだけど、そういう人のことを考えるよりももっと大事なことがあって、それは、自分の流れを止めない、ということである。
2022年9月12日月曜日
全部やる日記 2
朝8時からタリーズコーヒーに来ることに成功した。落ち着く。ヴァイオリンやギターやピアノを使った、不思議な音楽が流れている。RPGの、平穏な村で流れるような音楽。周りにはほとんど人がいない。平日の朝はこんなもの。一昨日の土曜日は、昼が近づくにつれてほぼ満席になっていた。
昨日の夜、落ち込んでいたのでSと電話をした。色々とヘナヘナした愚痴を聞いてもらっている間に、スケジュールを固定した方がいい、という話になった。僕は今、どこに出勤をする必要もない。フリーランスの立場だ。いいときもあるし、悪いときもある。悪い、というのは、「細かい決定に至るまで、いちいちすべて自分でその決断を下さないといけないこと」である。そして、その決断の条件として「今はこういう気分だからこうしよう」というように自分のコンディションを勘定に入れていると、疲れる。自分で全部決められるのは、一見いいことのようでいて、決定を下すことに精神的なリソースを割かなければいけないが故に、とても疲れるのだ。そうやって無意味なことで疲れると、余計に落ち込む。悪循環に陥る。
一例として、僕は朝起きた時、家ではうまく集中して仕事をすることができない。だから、まず「どのカフェに行くか」を決めることに時間を割く。でもそのために一時間も二時間もダラダラする時がある。すると十時近くなって、あーあ、俺は今日何もできないや、という落ち込んだ気分になってくる。それだけでゲンナリしてしまう。そんなのは嫌なのである。でも自分でいちいち決めているとそういうことになるのだ。かといって、行く場所を一つのカフェにだけ決めていると、なんだか飽きてしまう。だから僕は、コインを投げて、表ならタリーズ、裏ならむさしの森珈琲にいくことにした。昨日の夜、コインを三回投げたら三回とも表だったので、タリーズに来た。
いや、でも、来てみて思うのだけど、毎日ここで朝ごはんを食べる、ということを一度徹底してみてもいいのかもしれない。少し嫌になるくらい自分を縛ってみるのもいいかもしれない。どうせ、本気で変えたい時には、いつだって簡単に変えられるのだから。
とにかく、大事な仕事以外に自分のリソースを使いたくない、というのが本音である。
ひとまずこれからお昼まで、ここで仕事をしようと思う。僕はこのブログも仕事だと思って書いている。「仕事である」と断言することで、緊張感を保っている。自分のコンディションを整える作業であり、文章を書くという運動の練習である。早寝早起きをして、毎日同じように文章を書いて、絵を描いて、ジャグリングをして、そんな生活ができていれば、至極健康でいられるだろう。
※※※
このところ、落ち込んだ気分がなぜか続いている。今までの経験からして、心が沈む時というのは決まって疲労がある時だ。早く寝て、早く起きるだけで、きっと気分は良くなる。むずかしい話ではない。知っている。わかっている。でも昨日も、寝たのは夜中の一時だった。そして、朝の五時半には目が覚めた。あまりこういうことはない。少し不安になる。普段は、一度寝付いたら、何があろうと六、七時間は問題なく寝ていられる。でもここ最近は朝方に一度目が覚めることが続いている。猫を飼い始めたせいだと僕は考えている。
猫は夜中でも構わず、いや、夜中になったのを機に、のそのそと部屋を歩き回る。引き戸だって開ける。時々にゃ、にゃ、にゃ、と小声で鳴いたりする。トイレに行って、ザリザリ、と砂をかける音がする。猫と暮らすということは、猫と生活圏を共有するということである。ひょっとすると、僕にはもう少し大きい部屋が必要なのかもしれない。時々、賃貸のウェブサイトを見ている。半分本気で、引っ越しを考えてもいる。家賃の安くて広い場所に住めたら、と思う。
僕はこの日記で、文章を書く練習をする、と決めた。言うまでもないことだが、文章を書くことも練習が必要である。あらゆる芸と一緒である。大舞台に出る前に、息をするように練習をしているフェーズがあって、それをただ自然体で見せること。そういう在り方に憧れがある。僕はそういう人を見た時にこそ、感銘を受ける。腹を括って、一日一時間はこの日記を書くことに費やしてみたい。同じように、ジャグリングだって僕は、本当は最低一時間ぐらいやってないといけない。この要請はどこから来ているのか。他人ではない。誰にも言われていない。それは僕自身の内側からくる要請である。しっかりやれウイルス・陽性。日々意味のあることを積み重ねている、という実感が欲しい。でもこういうことを言ってしまうのも、優しくないよね、と思う。「意味のあることを積み重ねていなければ」という言明は、「意味のあることを積み重ねていない人間はダメだ」という価値判断を暗示しているからである。意地悪だ。でも、一方でやはり「前に進んでいたい、積み重ねたい」という、確かな実感もあるんだから仕方がない。
僕はなんでも、いつかは自分の思い通りになると思い上がっている。
本当の意味でのウケる、愛される、ということは、つまりリスペクトである、と最近考えている。表面的に何か面白いことをしたから面白い、というのとは別のレイヤーに、その人の舞台上でのパフォーマンスを見て、その裏に存在する膨大な時間と、探究心と、深く関わっているからこそ見出せる視点を感じた時に、自然な拍手が出てくる。賞賛せずにはいられない、参りました、そんな感覚。
※※※
この日記は、自分との対話である。公開することに意味があるだろうか? 僕は、意味がある、と信じる。自分を励まし、自分を知るための文章である。同時に、他人にとっても、励ましや、自己を知るための鏡になっていればいい。
2022年9月11日日曜日
全部やる日記 1
僕は日記を書くことで、自分を励ましている。僕が欲しいのは仲間である。思いついたことを気楽に吐き出せる相手を探している。でもそれは別に相手が人でなくてもいいので、むしろ人でない方がいいのだとすら思う。猫でもいい。こうして、日記でもいい。僕はいつでも何か書きたいことはあって、でも書けない、ということがたくさんある。それについて僕は何度も書いてきているんだけど、つまりそれは、質ばっかり気になってしまっているときに、何も書けなくなる。質が悪いものを作ってはいけない、という気持ちに邪魔をされて何も作り出すことができない、ということが起きている。
文章を書くときには、肩の力を抜いて、スーと流れるような書き方をしている方が、明らかに気持ちがいい。気持ちよく書けていれば、別にその文章自体が後でどうなろうとどうでもいいじゃないか。そういう文章があっていい。それとは別に、今取り組みたいと思っている文章も、別で書いたらいい。むしろ、そういうふうにして、一つ何かを達成した、と思えると、人は心からの自信を手にして、もう一つのことも勢いでやっちゃえるようにできている。だから1日の初めに何かを達成するのは大事だ。今日はもう10時半になってしまったけど、こうして1日を、何か好きなように文章を書く、という経験で始めるのはいいことだろう、と思っている、それがどんな質のものでもいい。ただ、何かを書いて発表する、という一連の流れに意味がある。ラジオ体操と一緒である。ただそれで1日を始める、ということ。それによって、次の行動がとてもスムーズになるのだ。絵を描くことだって一緒である。意味なんかないし、それが成果につながらないといけないわけではない。成果につなげたいと思っていることは、それとはまた別にやる、ということで何かが本気で生み出される、という気もしている。日課のようなものには、他人から見た時の面白みがなくたっていい。
まぁ、ラジオ体操を見るのも時々は面白いし、そこにいくといつもラジオ体操をやっている、ということが人を励ますことだってあると思う。
どうも僕は、「本当は優先順位としては一番にやらなければいけないことがあり、真っ先にそれをやらねばならないのだが、二番目、三番目にやりたいこともあって、むしろそちらの方が断然、やりたいことである」という状況に弱い。そういう状況に陥ると、一応、一番にやりたい方をやり始めるのだけど、結局二番、三番がやれていないということが気になってしまって、一番にも集中できない、そして二番目三番目もどんどん放置されていく、という状況になる。いいことがない。
邪魔しているのはいつでも恐れだ。恐れさえなければ、何かを作ることは無限の楽しみを提供してくれるはずで、でも恐れがない、という状況は待っているだけだと訪れない。それで、システマチックに何か、自分で仕組みを構築するしかない。つまり、擬似的に「恐れがない時間」を作り出すしかない。
僕は今、この日記とは別で、最近うちにきた猫についての文章を書いている。一体それがどこに向かうのかはよくわからないし、まだまだ僕はそういうふうに、文章を書いてそれをまとめる、最後に本にする、という作業には慣れていないので、手探りであるのも仕方がないことである。とりあえず何も考えずに技を繰り出してから、徐々にそれを、実際の現実に適応させていく、というのが僕のいつものやり方である。ゲームをしていたって、僕はいつもそうだ。考えて考えて、適切な一手を打つ、ということができない。とにかくトライ&エラーを膨大な量こなして、なんとか先に進んでいく、というやり方で進んでいる。だから、細かく行き届いた技術を身につけるのは苦手である。でもそれが僕である。あまり小賢しくやることができない。ただ愚直だ。というより、愚かだ。ノリで押し切ることしかできない。でもまずそこを認めるところからしか始まらない。下手だし、つまらないし、ただ欲望しかないけれど、でもそれでいい。何も期待しない。ただ、快感に従って動くことだけは、自分に嘘をつかない。反射神経で動く。動いた中から、技術を抽出していく。パターン認識をする。それが僕の学び方である。外国語で体験してきたのも、多くは、そういうことであるかもしれない。たくさん聞いていたら、意識的に解ろうとする前に、わかられていく。とにかく、飛び込んでいくしかない。わからないところに飛び込んで、そこで1年でも2年でも5年でも10年でもいい、もがいているうちに滑らかになる。でも何でもかんでも、ひとまずは、全然うまくいかない、とショックを受けるところから始まる。でもそれを楽しめているかどうかが、続くかどうかの分かれ目だ。自分の才能なんていうものに微塵も自信を持ってはいけないが、適応能力には自信を持っていい。適応することができる、ということは、これまでの30年間において、僕は身体をもって知っている。
とにかく、恐れを捨てて、評価されることから外れて、自分が書きたいという気持ちだけをぶつけた文章がある、ということ。そんな絵がある、ということ。そしてそんなジャグリングもある、ということ。そこから、徐々に「それ以外」を見つけていく。初めからうまくやろうとしないこと。そして初めを過ぎても、永遠に、うまくやろうとしないこと。
うまくいく時は、どうせわかる。ああ、これはうまくいくな、と確信があるときに、ここ一番の集中力を出してその目標を捉えるようにすれば、必ずうまくいく。でも、その時までは極めて適当でいい。むしろ、適当でないと、つまり他者から見た評価を一旦脇においておかないと、そこに辿り着かない。「作りたい」のならば、とりあえず大半を駄作として切り捨てるつもりで、つくるという行為に埋没しながら、その中で光明を探すのみである。海に潜りたいのならば海に潜る。危険なところに行ったら、察知する能力がある。恐れを感じない範囲を広くしていきたいのならばまず飛び込む。
僕は今でも、時々自分でお金を稼いでいることが、ふと、子供の頃の自分から見たら、随分と立派なことに見えるんだろうな、と思うことがある。こうして僕も成長してきたのだ。でもそれは特別頑張ったのではなくて、勝手にそういうふうになっていった。幼いとき、僕は両親にずっと頼りっぱなして、自分で自分のお金を稼ぐなんていうことは微塵も考えていなかった。本当に成長している時、その瞬間は自分ではわからない。状況に対応しようと、身体が自然に組成を変えて、それは、単に肉体的な身体ということだけではなくて、精神も含めた身体が、適応していってくれる。それが自然な成長というものである。だから、あまり考える必要はない。本当に考える必要がある場面では、身体は自然に考えてくれる。それを信じる、ということが飛び込むということだ。一発で正解を出せると思っていることの方が思い上がりなのである。
文章を書くことに関して僕がよいと思う部分は、聞き手を必要としないこと。聞き手がいると、自分が言いたいことをフルで言うことはできない。まれに、自分が言いたいことを素で全部言えるようなパートナー、のような人に会うことだってないではないが、それでも、いつでも、話を聞いて欲しい瞬間にそこにいるわけではない。いないことの方が圧倒的に多い。
僕は、人と話をしていて、もちろんその人の話が面白いことだってあるのだが、自分の考えていることを知りたいとも思っている。それを線上に並べて、一体自分がどういう存在であるのか、ということを外部的な刺激に変換して、それを味わいたいと思っている。それが互いに満たされているときに、互いを仲間だと思えるような感じがする。そういう意味で、僕は仲間が欲しい、自分がよくわかるような面白い仲間が欲しい、と思ってもいるし、逆に、別に仲間なんか、関係ない、ここで一人で自分に対峙することが一番の表現だ、とも思う。
2022年9月10日土曜日
キジトラネコのぽん 1
家に猫がきた。
「ぽん」という推定八歳のメスのキジトラ猫である。ぽんというのは、僕がつけた名前だ。タヌキのように地味な柄で、しっぽが極端に短い。まるでポンポンのような形をしている。僕は里親募集の写真を見て、すぐに「ぽん」という名前をつけた。
その猫に実際に会いに行く時には、頭の中ですっかりその名を呼び慣れていた。だから家に来てキャリーケースから恐る恐る猫が出てきた瞬間、僕は、ぽんちゃん、と呼んだ。初めてその名を聞いた猫は、少し不安な声で「にゃー」と言った。
以前にも(三ヶ月くらい前の話だ)一週間だけ、二匹の猫が家にいたことがあった。オレンジのぶち模様で、すらりとした、人懐こい、かわいい猫の親子だった。でも、いろいろと噛み合わないことがあって、結局この二匹は元の飼い主のところに帰っていった。高知県から飛行機で僕が連れ帰ってきた猫だった。帰りもJALの飛行機に乗って帰っていった。父親に車を出してもらって、羽田空港の貨物エリアまで行って、キャリーを預けて見送った。
猫を飛行機に乗せた日、僕は久しぶりに、父と二人きりでコーヒーを飲んで話をした。空港の最上階にあるカフェの窓から飛行機を眺めて、今年七十歳になる父は、ちょっと楽しそうにしていた。
※※※
ぽんちゃんは、前に僕の家にいた猫に比べると、そこまで人好きではない。以前の猫は、家に着いてキャリーのドアを開けた瞬間に目の前に人を見つけてすり寄ってくるような、人間が大好きな猫だった。
ぽんは違う。怖がりな猫だ。顔にもそれが表れている。警戒心の強い顔つきをしている。家に着いてキャリーを開けると、目をまんまるく見開いて、ヤー、と鳴きながら、そっと出てきて、しばらく匂いを嗅ぎながら探検をした。そして三分もたたないうちにベッドの下にモゾモゾと隠れてしまった。
たいていは暗がりに隠れている。ロフトに置いている荷物の隙間か、押入れの下段にある、大きい道具箱の上がお気に入りのスペースだ。どちらもちょうど猫の身体がすっぽり入る空間だ。陽光が差している間は、トイレと食事の時以外、このスペースより外に出てこない。
今日で、ぽんが家に来てから十日が経つ。
※※※
ぽんがきた最初の日のこと。僕はカブにまたがり、予約した時間である朝の九時半に横浜市の動物愛護センターに向かった。愛護センターは、家からそれほど遠くなかった。家を出て二十分ほどで到着した。菅田町という少し田舎っぽい町の高台にあった。何も考えずにGoogleマップに打ち込んだ住所に辿り着いて、僕は以前にもこの施設の前を通ったことがあると思い出した。その時はバイクで配達仕事をしていた。その建物に至るまでの道沿いには古い住宅ばかりが並んでいて、昭和か、よくて平成前半ぐらいで時が止まっているような印象だ。そこにいきなり、現代的で綺麗な建物が現れる。不思議な佇まいだ。一体なんの施設だろう。宗教施設かな、と初めて訪れた時は訝しく思っていた。でも、謎が解けた。ここは方々から信徒が集まる場所ではなくて、保護された動物たちが集まるシェルターだったのだ。
猫の譲渡のために手続きをしている最中に職員の方に聞いてみると、十年ほど前にできた、まだまだ新しい施設とのことだった。大きくて白い建物の前には、広い芝生がある。僕が行った時には、女の人が、その芝生で小さなトイプードルと一緒に遊んでいた。施設全体は木々に囲まれていた。山の中を切り開いて作ったような、自然に囲まれた場所だ。犬のしつけを学べるホールや講義を行えるスペースもある。ただ単に保護動物を収容する場所ではなかった。愛玩動物との接し方について、総合的に教育や支援を提供している施設だった。
※※※
以前家に迎え入れた猫がいなくなってから、しばらく「猫はいいかな」という気持ちでいた。猫のいる生活が楽しくもあり、また辟易してもいた。猫を飼うのは初めてだった。世話の方法もあまりよくわからなかった。夜鳴きをしていたり、スピーカーをチョイチョイと触って床に落としたり、上に乗ってきたりするものだから、頻繁に目を覚まし、寝不足にもなった。ワンルームに猫がいるって、なんだか大変だなと思った。それも二匹も。
しばらく猫はやめておこう、猫カフェでも行こう、と思っていた。しかし、インターネットで猫の動画を見たり、実際に猫と触れ合ったり、友人が猫を飼い始めたりするのを見るにつけ、やっぱり家に猫がいたら楽しいのだろうな、と強く感じるようになってきた。
そしてある日突然、僕は猫をもらってくる気になった。その時僕はカフェにいて、そこから愛護センターに電話をかけた。腰の低い、穏やかな声をした中年の男性が電話に出て、あいにく譲渡の担当が不在でして、またかけ直します、と丁寧に言われた。一時間ぐらいして電話がかかってきた時、僕はバイクで配達をしていた。配達が終わったタイミングでこちらから電話をかけると、今度は若い女性の声だった。僕は、大口商店街の脇道を入って手帳を広げ、欲しい猫の特徴や、都合のいい日を伝えていた。
※※※
施設に行って、まずはタヌキのような柄をした猫、つまり、ぽんちゃんを一番最初に見せてもらった。「猫の家」と書かれた、小さな小屋のような建物の中に入って右側の部屋で、そのサビネコは佇んでいた。低めのキャットタワーの箱の穴から顔を出して、こちらをじっと見ていた。
規則で定められているらしく、白衣を着てから中に入る。こちらを見ているその猫には、怯えている様子はなかった。でも喜んでいるようでもなくて、ただこちらを見ていた。僕はゆっくりと手を近づけた。猫はより目になって、ふんふん、と指先の匂いを嗅いだ。そして半目びらきで、目を合わせてきた。さわれそうだったので、頭とほっぺたを、手の甲でそっと撫でた。猫は目を瞑って、されるがままになっていた。
僕はその猫の頭を触った時、瞬時に、叡智と、経験の積み重ねのようなものを感じた。僕よりも何か厳しいことを経験してきた人に対峙した時のような気持ちになった。箱はL字型で、頭と反対の側も穴になっていた。その穴からは、写真で見た通り、ポンポンの尻尾がついたおしりが突き出ていた。今度はそちら側から、背中の方を撫でてみた。特にいやがる様子はなかった。背中に触った時、明らかに歳をとっていることがすぐに了解された。硬い背骨の感触がはっきりとわかる。
僕は今まであまり老いた猫を撫でたことがなかった。触れ合ってきたのは、六歳ぐらいまでの、比較的若い猫だ。それくらいの歳の猫を撫でたり抱き上げたりした時に真っ先に感じるのは、肉の柔らかさだ。でもこの目の前の猫の身体は、どちらかというと、その人生の後半に足を踏み入れた生き物の手触りをしていた。
そのあと僕は、もう一匹の候補だった二歳のメスの三毛猫も触らせてもらった。その猫は、最初のキジトラネコとは対照的に、元気いっぱいだった。にゃーおにゃーおと鳴き盛って、僕が手のひらから餌をあげようとすると、怒ったような声をあげて手を甘噛みしてきた。可愛いけれど、少し元気すぎるような気がした。建物を移動して、生後半年くらいまでの子猫も、何匹も見せてもらった。とても、とても可愛かった。
子猫はすぐ貰われていくんですよ、と案内をしてくれている所長さんが言った。この所長さんは、最初に電話に出てくれた穏やかな中年男性だった。どれぐらいの頻度で譲渡希望が来るんですか、と聞いてみたら、平日なら二、三人はいらっしゃいますね、と言った。それぞれの猫の特徴についての説明を聞きながら、僕は大きなケージに入って並んでいる子猫たちを見て歩いた。そのうちの一匹に、心が通じそうな見た目をした、白黒の子猫もいた。ああ、この猫だったら、きっと僕と仲良くなるだろうな、と思った。それは明らかな直感だった。
でも僕は、さっきの所長さんの言葉を思い出した。きっとこの猫も、すぐに貰われていくのだ。そして、それが僕でなくてもいいような気がした。もちろん、とても可愛いかった。小さくて、まんまるで、好奇心いっぱいの目をしていて、とんでもなく愛くるしかった。今すぐ連れ帰って、おもちゃで一緒に遊び、ちゅ〜るをあげたいなと思った。
でもこの子だったら、どこに行ったって愛されるだろうと思った。
僕はもう一度、「猫の家」にいるさっきのサビネコ、触ってもいいですか、と言った。所長さんも、譲渡担当のお姉さんも「もちろんです、長い付き合いになりますからね、どうぞゆっくり選んでください」と言った。僕は再び猫の家に戻り、右側にいるサビネコに声をかけながら、部屋に入っていった。そして再び、背中を触ってみた。やっぱり、年老いた手触りだった。猫は、特に何も反応しなかった。
僕は一体、猫に何を求めているんだろう?
最後の決断をしようと思って、不意に、猫を家に迎える明確な理由がよくわからなくなった。ただ、猫が欲しい、という思いで僕はここに来た。愛くるしい動物を自分に懐かせたいんだろうか。それとも、仲間が欲しいんだろうか。それとも、他の理由なんだろうか。よくわからなかった。
猫を選ぶための明瞭な基準なんて、特になかった。
僕はもう一度、今度は猫の頭を撫でた。
猫は、おとなしかった。
「この猫にします」と僕は言った。所長さんは、「そうですか、とてもありがたいです、どうもありがとうございます」と、頭を下げた。キャリーに入れて持っていきますので二階で手続きをしていてください、と言った。僕はお姉さんと一緒に階段で二階に上がって机の前に座り、書類を読み、サインをした。手続きが終わる頃に、所長さんが猫の入ったキャリーを持ってきてくれた。よいしょ、と持ち上げてから、机にそっと置いた。「おい、よかったな」と所長さんは言い、窓になっている部分をコツンと叩いた。猫は少し不安げな声で「らーお」と言った。
僕は嬉しかった。キャリーの蓋に頭を押し付けて外を眺めている猫を見て、笑顔になった。僕はさっきこの猫を触った時の手触りをもう一度思い出していた。これからこの猫と一緒に暮らすんだ。
僕はお礼を言って、建物を出ると、カブのエンジンをかけた。
こうして僕の家に、キジトラ猫のぽんが住むことになった。
(キジトラネコのぽん 2 に続く。 2022年9月10日)
2022年8月15日月曜日
企画書作戦
妄想癖がある、という言い方をあえてしてみる。僕には、妄想癖がある。何か面白いアイデアの種を思いついたら、それがバーっとウイルスのように広がっていくのである。思考が全てそれに支配される。今日も僕は、このあいだ友達に言われて気づいた台湾のワーキングホリデービザ受付再開のニュースが気になってそれを検索して、自分ではてっきりもう30歳だから資格がないと思っていたんだけど、実は10月生まれの僕は、10月が来て31歳になるまでは、まだ応募資格がある、ということがわかったのだった。
その瞬間に、実際に行ったらどうだろうか、ということについて具体的に考え始める。でも、実際には行かないのだろう、と思う。でも、こうして妄想でもいいから、考えている時間が楽しい。でも実際にはやらない。
これは別に「まぁそんなことはあり得ないんだけどね」と諦めているわけではない。むしろこのような妄想をしている間というのは、「行こうと思えば簡単に行ける」と思っている。不可能なことなんてないからね、と至極自然に思っている。為せば成る。為さねば成らぬ。本当にただそれだけだと思っている。
でも、本当に行くつもりで考えを進めていると、なんだか最後にはやるせなくなる、ということももう僕は知っているので、ここは一つ、「企画書作戦」を使ってみる。企画をめちゃくちゃ具体的に立てるという行為に昇華するのだ。でも、それは実現しなくていい。ただ、その妄想を文章なり、絵なり、漫画なりにする、という結びつけかたをすればいい。
これは、自分の妄想に具体性を付与する訓練になる。それだけでもめっけもんではないか。無理に実際に台湾に行く必要がないのである。ただ、その具体的な計画だけ考えて、それで遊んで、スッキリすればいいのである。
※※※
でもそれとは別で、僕は来年台湾にパフォーマンスをしに行くかもしれないので、その計画はちゃんと立てるつもり。自分がジャグラーとしてどうもまだ色々やりたいことがあるなぁ、ということに気がついたので。やりますよー。
2022年8月7日日曜日
時間で区切って
日記は日記で、別にやめることもないかな、と思い、ここも簡単に書いておく。ツイート5、6個分検討で、700文字くらいで。
昨日の朝から連載が始まった。と言っても、自分で勝手に連載、と称して文章を書いているだけ。でも、この時間がすごく好きである。とにかく僕にとっては、どんどん進む、というのが一番気持ちいい、ほとんど唯一と言ってもいい満足の方法なので、これを徹底して突き詰めてゆく。何でも、とにかく、どんどんやる、それでいいと思う。僕はそもそも、一個に絞って何かをやる、ということがとことん向いていないのである。無意識に任せてやっちゃうくらいがちょうど良くて、後でそれを修正していけばいい。
この日記も、もうほとんど画面も見ないような状態で書いている。特に誰に読まれる、というのでもないし(それでも、数十人の方は読んでくれているようで、ありがたいことです)ただ、朝の体操みたいな感じで、はい、今日も書きました、という様な、リズムを生み出せればいいと思う。
自分自身の生活のリズムが整っていれば、自然と生み出すもののリズムも整ってくるんだろうな。だから、連載をする、とか、毎朝絵を描く、とか決めてしまうのがいい。自意識に何か決定を任せていると、ろくなことがない。システムの方をきっちりしてしまって、それを守れ、と簡単なやり方にしてしまう方が有効だ。
今日は配達の仕事を少し多めにやりたいと思っているんだけど、うまくいくかな。とにかくやりたいことだけはいっぱいあるので、一日のスケジュールを綿密に組まないといけない。時間がきたら、パッと動けるようでありたい。
2022年8月5日金曜日
トレーニングとしてのfromsvankmajer
2022年8月4日木曜日
リズムと美術館と
別に特別意図があってここを休止していた訳ではないのだが、また復活させる。まとまった量の文章を書きたくなった。今、少しぼーっとしている。別に格別悪いことがあったのではなくて、ただ単に、ローな気分。でも、そういう時の方が、内側からたくさんのこえが聞こえてくる。だから、それを元手にしていっぱい文章は書けたりする。内側からたくさんの「こえ」が聞こえてくるという状態が、つまり僕にとっては落ち込んでいる、ちょっと鬱々としているという状態なので、これはある意味で当然といえば当然である。今日はどんなこえが聞こえているかというと、なんか、関わる人が、迷惑に思っているんじゃないか、とか、そういうこえである。これは、自分ではいかんともしがたくて非常に厄介である。自分の性向なのか、それとも、デジタル技術で、遠くの人と顔の見えないやりとりが増えたからなのか。たぶんちょっとずつどちらの要素も関連している。あるいは、急激な気候の変化で少し心身ともにやられてしまっている、とかそういうこともあるのかもしれない。あんまりそれで慌てたってしょうがないのはわかっているんだけど、特に誰かからの何か返事を待っている時、というのはどうも落ち着かない気分で、なんなら、どんどん悪い方に考えてしまうのだ。これは僕の生物として持っている防衛反応なんだろうけれど、随分過剰に作用しているなぁ、と自分でも思う。自分でも何をから騒ぎしているんだろう、と俯瞰して見ている部分もあるし、でも自分の身体は何らかのSOSを発している、というような状態で、まったく困ってしまうのである。まったく。こういう時は、何か落ち着くことを身体にしてあげるに限る。というわけで今は、お風呂を沸かしている。まぁ、行動の方から変えていくしかないんだよねえ。
※※※
昨日はPM Jugglingの大吾さんと一緒に、木場公園の中にある美術館へ行き、ジャン・プルーヴェ展を見た。フランスを、世界を代表する建築家が作ってきた、椅子や建築を見る。途中で大吾さんが、なお君はどういうふうに絵を描いているのか、と質問してくる。設計図を眺めながらのことであった。僕にとって絵を描くというのは、ほとんど感覚でやっている。だからこういう精緻な予想図、というようなものとは関連がないようでいて、実際、完成したものについて考えるときには、感覚を使っているとも言えるので、似ているといえば似ているのかもしれないが。でもひとまず毎朝描いている絵に関しては、ただそのときに、聴きたい音楽をきく、という感覚に似ている。自分が見て楽しみたいと思うリズムをその場に出す、というくらいの感覚である。
美術館を訪れるというのはどういう体験だろうな。つまりそれは、他人が考え出したリズムを聴きに行く、ということなのかもしれない。僕は自分のリズムが枯渇してきたときに、定期的に人のリズムを聞く、ということで、しなしなになった野菜が復活するみたいに、元気を出そうとしているのかもしれない。でも、それだけだと我慢ができないので、次第に自分のリズムを刻むようになっていく。
リズムが乱れたな、と思った時は、一旦休むに限る。それは、「遮断」という手段で良い。歌いたいと思っていた歌がわからなくなっちゃって、「あ、ちょっと、待って、たんま」というくらいの感じである。無理に自分のリズムを思い出そうとしても、できない時がある。
ま、ゆっくりしようぜ、で、もう、いいのだ。ね。
結局何かに思い悩む、というのも、自分自身のリズムを刻めていないことへの焦りとも解釈できるよ。
2022年7月31日日曜日
量を増やすだけ
なんか自分はもっと「演じる」ということを楽しんでいたなあ、と昨日友達と電話をしていて思ったのである。小さい頃は、暇になるたびにぬいぐるみをバラバラとかごから出して、思いついた側からお話を演じさせていた。あれは、かなり自分にとって欲望と現実が肉薄した創作体験だった。
それをそのまま、ということではなくても、何かしら近い感覚を呼び起こすことはできるんじゃないかとも思う。僕が一時期書いていたnoteの連載もそんな感覚を呼び起こすためのものであった。そこに余計な思慮のない、ただ思ったことを具現化するだけの行為がやっぱり一番楽しい。あとはその量を増やしていけば、もうそれで幸福でいられる。
2022年7月30日土曜日
偶然で
2022年7月29日金曜日
合間でやる
翻訳仕事の合間を縫ってここを書いておく。取り立てて書きたいことはないが、編集画面を開いて書いておく。文章を書くことが比較的好きだと分かっているのなら、あとは余裕を持って書ける時間をとことん生活の中に用意してあげればもうそれ以上することはないんじゃないか、と思う。必要なのは才能ではなくて、時間なのだ、と思う。
※※※
昨日は夜に、急遽、生活綴方のお店番のサイトウさんと飲むことになった。白楽の焼き鳥屋に行った。普段はとても混んでいるのだが、平日の夜だからなのか、どうも感染者が増加しているからなのか、ほとんど席は埋まっていなかった。2人でお互いの話をしながらビールを傾けた。帰ったら少し頭が痛くなっていた。朝は起きられないだろうな、と思って、案の定、6時半に一度起きてゴミを捨てに行ってから、帰ってもう一度寝て、起きたら10時になっていた。
※※※
やるべきだと思っていることが多すぎるような気もするが、どんどん拡散してしまう興味を抑えれば全部実現可能だとも思うし、でも拡散する興味をそんなに抑えていいのか、という気持ちもあるし、半々である。
こうして要約だけ書いてとりあえず書いたことにしちゃう、というのもなんだか芸がないなと思っていて、だからこそ、「時間を費やさないと」と思っているわけで、相反することをしているなと思う。時間がかけられないのは、結局計画が下手だからなので、計画をきちんとできるようになる、ということで、自由に遊ぶ時間ができるということだよね。当たり前である。
2022年7月28日木曜日
お話がしたい
2022年7月26日火曜日
横浜に帰ってから思い出すのは
今日の夜、岩手県の紫波町から横浜に帰る。三日間で、こちらの生活がずいぶん染み付いた。帰るのがちょっと寂しい。
滞在中は、はんこ作家のあまのさくやさんに車でいっぱい案内をしていただいた。今月のはじめに縁あって知り合った彼女は、昨年の4月に東京から紫波町に移住してきた。情報発信をする地域おこし協力隊として元気に活動している。おかげで多くの場所に、人に会えた。
地域の魅力とは、人である。カフェで抹茶を立ててくれたあいちゃんも、楽しそうにハードサイダーを入れてくれたきゅんさんも、今度は横浜に行きますと意気揚々と語ってくれたひやまさんも、ご飯を食べに入った食堂で、犬の散歩に誘ってくれた店主のけんじさんも、僕のことを面白がってけんじさんに紹介してくれたキミーさんも、昭和の香りがするカフェ・エーデルワイスでひとりコーヒーを飲んだ僕を、姿が見えなくなるまで見送ってくれた店主の方も、家族ぐるみで僕をもてなしてくれた畑の主なっちゃんも、紫波町を気に入ったことを一緒に喜んでくれた図書館の司書の吉田さんも、コミュニティ農園でサバサバと草を刈りながらカッコよく僕をもてなしてくれたまどかさんも、一緒にいてあたたかさを感じたひとりひとりの面影が、その地域にまた行きたいと思わせてくれる。
紫波町は、駅の周辺地域は再開発されていて綺麗で、現代的な施設もたくさんあり、利便性が高い。しかし、車で5分も走れば、そこには田畑が広がる地域である。
横浜とは暮らしが違う。家の横を、電車が通らない。夜はほとんど音がしない。空を見上げると雲や星が広く視界を彩る。遠くに見える山々が少し霞んで、夕刻を告げる。ひぐらしやカエルが鳴き、たぬきが歩く。青々と繁った稲が、そよ風に揺れている。
横浜に帰ってから思い出すのは、こんな景色と、そして、出会った人たちのことだろう。
2022年7月25日月曜日
小さな焦燥感
2022年7月23日土曜日
聞かれたらさ
2022年7月22日金曜日
よくきく
長いこと、身体を動かしていなかった、ということが今になってずいぶん意識させられる。昨日、俺は身体を動かすんだ、と思って、体育館に行って1時間ほどだがジャグリングやらなんやら練習をした。夜は清々しく眠れた。そもそも、以前は新しいベッドが身体に合っていないから眠れないんだと思っていたのだが、身体が十分に疲れていないから眠れていなかったのではないか、と思う。身体がしっかり疲れて、そのおかげでしっかり眠って、それによってなんだか清々しい気分になる、という感覚を忘れていたのだった。数年前までは、何も身体を動かしていないとそれだけで罪悪感を感じていた。なんだか最近忙しいというか、デスクワークばかりで、これが自分のデフォルトのようになっていたのだけど、そうではない自分のことを時々インストールする、というか、流れに逆らうような心持ちで生活をしてみる。のも、いいだろうな、と思う。身体が何を感じているのか、もっとよく聞いてあげないとな、と思う。
2022年7月20日水曜日
怖さに向き合おうか
2022年7月19日火曜日
質については問わない。でも、質は問う
はるばる会う人がいいのだ
いろいろな変化を早いスパンで欲する体質である。飽きっぽいとも言える。
僕は旅の何を好きでいるのか。ひとつには、明らかな変化を感じられること、である。場所、出会う人、匂い、光、音、ひとつひとつが違うと感じられると幸福だ。身体に総体として訪れる違和の感触が欲しい。結局、「違う場所に居る」という体験そのものを欲しているんだ。俺は違う場所に居るんだな、と生々しく思えればそれでいい。
そして、やっぱり人なんだよ。僕は会いたい人がいる場所に行くんだ。はるばる、というのもいいよね。はるばるを求めている。はるばるは、人との出会いの高揚感を倍増させるんだよ。はっとするんだ。この人ははるばる来たのだ、と思う時、すごくいい感じがしないか。
中学生の頃、友達が宇宙に行ってきたメダカの子孫をくれたことがあった。夢があるよな。そういうことなんだ。宇宙に行ってきたメダカ、って、別にそれだけで、他のメダカと何が違うわけでもない。でも、はるばる宇宙から来たのがいいのだ。
2022年7月17日日曜日
生活のすべてが栄養なんだ
2022年7月16日土曜日
猫は週休何日か
猫を見ていると、彼らは常にリラックスしているようでもあるし、同時に常に警戒しているようでもある。特に野良猫なんか、ぐでんと気を抜いて横になっていると思っていたのに、ちょっとこちらが一歩進んだだけで、ピクっと耳が動いて、次の一歩で、目を開いて前足を少し身体に寄せ、次の一歩で、立ち上がってさっさと塀の裏に行ってしまう。どんなにだるそうにしていても、「今日は休みの日だから天敵は回避しないでいいや」とか、ない。特に曜日によって動きが違う、ということがない。猫は「一日」という単位で休んでいないんだ。ただ、休みたいと感じた時に、適宜休んでいる。猫が休むのは、「土曜日だから」とか「今日は半休とったから」とかそういう理由じゃないのである。眠いから唐突にパソコンの上で寝るし、寝転がりたいから、歩いている最中にいきなり寝転がる。
この呼吸が人間としても自然にあってるんじゃないか。いや、他の人のことはわからないけど、僕はそういうふうに生きるのがいいんじゃないか、そう思う。
そう信じたいから、言い訳として、僕は猫のことなんか書いている。
誰かに時間の拘束を受ける形で雇われていないので、いつでも仕事を開始して、いつでも仕事をやめることができる。でもそのせいで不安になることがある。周りを見ると、一週間のうち、たとえば5日間なら5日間しっかり働き、なんなら少し無理をして、その上で、「これだけ頑張ったから、私には休む権利がある」という充足というか、何か、義務から解放された感じ、それを祝福するように、土曜日、日曜日を過ごす人がいる。僕はそれを心底羨ましいなと思う。心配事なく、よーし、目一杯好きなことをするぞ、という決意の元で、実際に目一杯好きなことをやってみせるってなんて素敵だろうかと思う。
でもそこで、猫のことを思うのだ。僕はついつい「思い切り休める一日」を持ちたいみたいな妄想をするわけだけど、「一日」という単位に縛られるのが、実はちょっとズレてるんじゃないか? と思うわけだ。動ける間はガンガン動いて、休みたくなったら、休みたい時間だけ、というか必要な時間だけ休んで、またガンガン動いて、でいいじゃん、と思うのだ。それがたまたま一日という単位と被るのか、そうではないのか、という違いなだけなんじゃないか。
しかし、かたや、こうやってなんかいい感じのことを言うだけなのは簡単なんだけど、それを人間として社会生活にある程度コミットしている状態で実現するには、工夫が必要である。ただ単に「好きに生きればいい」みたいなのは、作戦不足で、結局、虚しい願望で終わる。頭を使わないといけない。
いや、だって、例として、僕は今朝、7時には起きていたんだけど、朝のコーヒーを淹れながらiPadをいじっていたら、急に『アイアンマン』が見たくなったので、ちょっと冒頭だけ見ようと思ったら、気づけば一本全て観ていたのである(その前に『ミズ・マーベル』一話分も観ている)。これはその時々でやりたいことに集中したということになるのかもしれないけど、僕はその後、随分後悔している。これはなんでだろう。確かにやりたいことをやっているはずなんだけど、僕は不幸になっている。
真剣に取り組みたいと思っていることに、真剣に取り組んだか? というのが判断基準なのである。「やりたいこと」と言っても、いくらでもある。その中で、自分の方から積極的に世界に働きかけている感じがすることができた場合に限り、僕は充足を感じている。
2022年7月15日金曜日
ジェット噴射と動的平衡、「同じ」を保つために変化する
自身がどういう時に充実を感じるのか、ということについての個人的な研究をずっと続けている。というか、別にそんなふうにハッキリと思って日々生きているわけではないのだが、振り返るとそういうことを念頭に置いて日々動いている感じがする。俺はどうやったら落ち着くんだ、どうやったら集中できるんだ、どうやったら幸せだと思うんだ、と、トライアンドエラーの繰り返しで、これは一生続くのだろう。なんせ、一度作り上げたシステムが一生続けられるなんてことは、現実にはないからだ。いや、同じ「ような」システムが一生続くことがあるとは思うのだが、それは、たとえば同じスーパーカブという名称の商品でも、常に時代に合わせて細部を変えていたり、エンジンの効率を研究していたり、使用する原料を最適化するように、「同じ」を保つということは、実は「そのままでいい」というズボラな態度ではダメで、むしろ常に研究が要請される、地味な労力をかけてメンテナンスをしないといけない、大変なことなんだろうと思う。日々変化すること、やわらかくいることが、同一性を担保する。
今頭に浮かんでいるのは「動的平衡」という言葉でもある。あとは、機体の飛行みたいなイメージもある。ジェット噴射で大事なのは、そこで何かが燃えて、推進力になっているということであって、それが途切れない、というのがいい。あとは、うまいこと翼を微調整して、その噴射による推進を調整する。飛ぶためには、まずは燃やす。燃焼効率が悪いなぁ、と思うかもしれないけど、とにかく、燃やす。
昨日は配達を多めにやった。昼の時点で、定めていたノルマ分はほぼ終わっていたのだが、頑張れる時に頑張った方がいいんじゃないかという予感がして、10本多めにやった。結果としては、「期待されているより倍ぐらいの成果を達成している」というときは自信を持って満足を感じられるらしく、その後の動きが良かった。机を片付けて、紙とペンを置いて、じっと過ごしていても罪悪感がなかった。焦りを無くすための技術だ。ぎゅっと抑圧された状態があって、初めてバネが伸びる。自分が自分にどれぐらいの期待をしているか、そしてそれを上回るために、冷徹に時間を使うにはどうやって組んだらいいのか、それが具体的なテーマ。今日のところは、「とにかく時間で区切る」ということなのだろうな、と思っている。
※※※
ちょっと関係ないけど思ったことがあって、僕がPM Jugglingの板津大吾さんと対談で話すと、自分でもいい感じだと思える言葉が出てくるのは、そこで他者に対して説明をしよう、なるべく開こう、自分とその周りでしか通じないようなジャーゴンも避けよう、安心はしているけど、小さな内輪ではない、海を探るような言葉にしよう、という意識が、自然に働いていたからじゃなかったか。自分が納得するために他の人と話をする、というのは立派な方法で、たとえばそれは、怒りが収まらない時に人に愚痴を言うと改善したり、悩みがあるときにただ聞いてほしい、という場合とも共通である。
2022年7月14日木曜日
変換されるプロセス
ぼんやりした想像
「 満たされる」のは欲が叶った時。では、その欲がなんなのか、それを考える。何をするとき自分は幸せなのか。その時、なるべく具体的に言うのがそのための道ってもんだ。人に指示をする時、なんだって具体的に、しかもピンポイントで言った方がピッタリそれにあったことをできる。それと一緒である。
自分に指示をするのと、人に指示をするのと、ほとんど一緒じゃないか、と思う。あんまり自分をぼんやりした想像で惑わせちゃあいけないよね。
2022年7月13日水曜日
具体的に身の回りで起きていること
2022年7月11日月曜日
源氏香の計算とアテンション・スパン
さっきまで文字起こしをしていた。その中で、香道の話が出てきた。5種類の香木を5カケラずつ用意し、その中から5つを無作為に選び、順番に「聞いて」いって、どれとどれが同じだったかを当てる、という「源氏香」という遊びが紹介されていた。
何番目と何番目が同じだったか、ということを図に落とし込み、その図柄によって源氏物語の巻に当てはめて遊ぶのだという。
話しているうち、香道の先生は、全部で52の組み合わせがある、と言った。なんだかちょっとピンと来なかったので(予想より少し少ないような気がして)久しぶりに、紙とペンで組み合わせの計算をした。
でも、パッと証明ができなかった。
何より、あれ、と思いながら、紙にペンを走らせるのだが、どうにもうまく集中できなかった。2秒くらいで、別のことを勝手に考えてしまうのだ。
ある一つの問題について考えようとすると、頭が真っ白になってしまう、というか、強制的に別のところに思考が移行してしまうというか、生理的に集中ができない頭になっていることに気がついたのだ。普段文章を書いたり、話をしたり、という程度の日常生活の中では感じていなかった思考の持続時間の短さ、要はアテンション・スパンの極端な短さを、ありありと意識せざるをえなかった。
結果的には、この計算は少々場合わけの必要があって、(1〜5という香りが用意されていたとして、AABAAみたいな組み合わせだった時、AとBにそれぞれ例えばA=1,B=2を代入しても、A=3,B=5と代入しても、一緒とみなす、という部分に気がつくのにちょっと時間がかかった。要は「同じかどうか」と「順番」だけが区別の対象なのだ、だからお香の種類の割に、ちょっと組み合わせ総数が少ないと思ったのだ)この計算がパッとできなくてもまぁそこまで恥ずかしい事でもないんだけど、なんだかぼくは気落ちした。
2022年7月10日日曜日
習性を知ること
あまり考えないでとにかく量をこなす、ということが、続けるという中では重要になってくる。この日記も別にやらなくてもいいといえばいいので、やらないで済ませることもできるのだが、そして今日は書かなくてもいいかもしれない、とも思ったのだが、やはり書いておくことにする。
自然と出てくるものをいかにコントロールするか。例えば僕はまた、放っておくとYouTubeとかを見てしまうので、その習性をどう捻じ曲げて、自分が後々も嫌な気持ちを感じないようにするか。
無理に「見てはいけない」と律するのは何か違うのではないかと感じる。むしろそれを力であると認識して、何か面白いことに結びつくように少しだけ進路変更してやる、みたいなことが重要なんじゃないかと思っている。
まずは自分の習性を理解して、それにシステムみたいなものをくっつけることで、何か結果が変わる、というようなのがいい。
僕は、色々見てしまう時に外国語のものを意識して選んでいて、それは多かれ少なかれ、何かの役には立っているな、と感じていたりする。
2022年7月9日土曜日
よーし、失敗しに行くか
あれ、今日って10日だっけ、と思って、確認したら9日だった。何かを10日までにやるんだったな、と思って、ああ、そうだ、投票行くんだ、と思った。
忙しいなぁ、と思うのに、何もできなくなってしまう、という時間がある。何だか、これやってもどうせ少ししかやること終わらないし、みたいな気分になる。これがなぜなのか、今まで全くわからなかった。やることがあるなら少しずつ終わらせるしかないのに、なぜいざそれに取り組もうとするとまるで無駄であるかのような錯覚を起こしてしまうのか。
僕はそれが、「やり終えられたとしても、それが万全の成果ではないということが予期できてしまうから」だとわかった。
試しに、「もう、何一つうまくいかなくていいや」と、むしろ何も成功させてはいけない、というルールを自分に課してみたら、今まで躊躇していたようなことがすいすいとできた。
僕は今二階に住んでいるのだけど、洗濯していたTシャツが落ちてしまって、隣の人の家の庭に行ってしまった。これを取りたくて、声をかけようと思っていたのだけど、何だか二の足を踏んでいた。でも、「まぁ別に悪く思われても、迷惑そうな顔をされても、なんでもいいや、うまくいかないのが前提なんだから」と思ったら、さっと行って、すいませーん、と声をかけて、ニコニコしながらまた落ちちゃって(二日前もシーツが落ちた)、ご迷惑おかけしますー、なんて言って、向こうも「あー、はい、どうぞー」なんて言って、それで終わったのである。
「何も考えるな」というのは無理なので、むしろ「よーし、失敗しに行くか」と積極的に思っていくと、何だか全てのことがスムーズにできるのだった。
2022年7月8日金曜日
ホッとする日記
僕の仕事は不規則なので、あるときはぱったり仕事がないかと思えば、いきなりドバッと仕事が増えることもある。今日はドバッと増えた日。集中してかからねばならぬ。でも、この「集中せざるを得ない」という状態は非常に好き。当たり前だが、これが全て滞りなく遂行できて、うまくいった時は気持ちがいい。
こういう状況を自分で作り出すのがいいんだろうと思う。余計なことを考える暇がないくらいに忙しいのがいい。そして金銭的にせよ精神的にせよ、何らかの報酬が確約されているのはやっぱりいい。さっさとやって、さっさと気持ち良くなっていく、っていうのがいい。
ところが今朝は、6時に起きたはいいものの、洗濯をして、干し、掃除機をかけ、布団もスプレーをしたりして整え、窓を網戸付きで全開にして気持ちいいなぁ、と思って寝転んだところで記憶が飛び、次に起きたのは9時ごろにゴミ収集車がくる音楽が聞こえてきた時だった。
疲れていたんだなと思った。
そこから、森(近所のカフェ)に出勤してきて、仕事にがっと集中するわけだが、そんなにめちゃくちゃ気が進む仕事でもないので、こうして日記を書くのがホッとする。この緩急をうまく使い分けて、必要なことをさっさと終わらせて、楽にやっていく技術ってあるね。
2022年7月7日木曜日
作品を提出すること、自分が自分に取りたい態度
昨日発行したメルマガに関して、2人の友人から、好意的な感想が直接LINEで届く。嬉しかった。
昨日の内容は、態度を明確に言葉で語ったものだった。しかし、今回はたまたまそうだったけど、そういった内容でなくても、つまり、「明示的に態度を語った文章」ではなくても、何かをパッケージにして人に差し出す場合には、常にそこに「つくり手の態度」が自動的に含まれる。
どこで差し出すのか、いつ差し出すのか。発表をする時点で表れる態度がそのひとつ。態度が作品の内容として明示されていなくても、受け手は相手の態度を勝手に想像する。
たとえば深夜にいきなりメールが届いたら、その事実自体、好むと好まざるとにかかわらず、なんらかの印象を与える。深夜に送ってもいいと思っている、それぐらい信用している、緊急で伝えたいことがある、あるいはやりたいと思ったことはすぐにやる人間である、するべきことが昼間に終わらない人である、たとえばそういう自由な想像を、受け手に促す作用がある。noteでやるのか、ブロガーでやるのか、Facebookでやるのか、紙の本でしかやりとりをしないのか、そういうこともすべて態度である。
そして日々をどのように積み上げた上で、その作品が提出されているか、という、一朝一夕には操作ができない要素も、不可避に織り込まれている。それも態度である。どう向き合っているのか、ということ。
作品には必ずその前後の脈絡がある。つくり手の生活がある。それを見せるか見せないか、見せるとしたらどこまで見せるのか。自身の生活を伝える際に、どれぐらいのフィクション性を織り交ぜるのか。そういった態度まで、すべては作品(このウェブサイトも例外ではない)を取り巻く、態度表明の手段である。
見られていない部分以外も、本当は筒抜けなのだ、と直感する。作品を発表するという行為には、つねに「態度の表明」がモロに含まれている。
でも、他人に見られているから日々緊張せよ、と言いたいのではない。他人を意識せよ、というのではない。他人を意識して表明する態度を決めていたら、惑うだけになる。じゃあ何か。
僕は言いたいのは、作品を通じて一番態度を見せつけられる相手は自分自身なんじゃないか、ということだ。一番先に現れるオーディエンスは、自分なんだ。
だから正直であれ、と僕は思う。作品に持たせる緊張感というのは、自分に対して見せつけてやるための緊張感なんだ、と思う。最後には、自分がどうするか、でしかないのだ。だから僕はここで、作品が帯びる態度というものを、「自分が自分に取りたい態度」である、と定義する。
どんどん発表していくことは、自分への態度を明らかにするという行為なのである。それは、彫刻家のはしもとみおさんなんか見ていても、やっぱりそう思う。でももちろんこれは、僕の勝手な解釈だ。実際に、はしもとみおさんがどういう考えなのかはわからない。
でも、まさに言いたいのはそういうこと。どう頑張ったって鑑賞者は個々に勝手に解釈しちゃうのだ。あとは「自分がその態度に満足するかどうか」の方がよほど大事だ。僕は、主にインターネットと本、それといくつかの展覧会を通じて知った、はしもとみおさんの作品に触れて、そう勝手に受け取っているだけ。
2022年7月6日水曜日
勝手にリズムをととのえる
文章を書くのにずいぶん手間どっている。書けるときはどんどん書けるのに、ここ数日はほとんど書けないでいた。でも急に、「書けるも書けないも何も、書き始めて書けるものを書けばいい」という気になったので、またこうして勢いよく書けている。
とにかく判断をしない、ということが大事である。書けたものに関して、なるべく判断をしない。ただ書くこと。あんまり真剣になって、悲しくなるのが一番あほらしい。ともすると僕は、あんまり真剣に考えるあまりに、質が担保できないことに悲しくなって余計に書くことができなくなる、ということがある。
でも、本当に大事なのは、生活のリズムである。
「どう書くか」「何を作るか」というのは、あとからついてくるものであって、先に考えることではない。あくまで、リズムが整っていて、この時間にこれをする、ということが定まっていることが一番大事である。
※※※
今まであまりKindleを積極的に使ってこなかったが、配達仕事の空き時間や、なんとなく手持ち無沙汰な時に、それなりのまとまった量の著作を読みたい、と思って、iPhoneのKindleに立花隆の昔の本を入れた。
2022年7月5日火曜日
会話の奥の方にあるもの
昨日まで数日間、人とたくさん会って少しイレギュラーな生活が続いたので、今日はリズムを元に戻そうと、いつものカフェに来た。
僕はいつでも人と喋っていたい。これは否定し難い僕自身の欲求である。でも、実際にはそうはいかないので、何か別の形に昇華するわけだが、どうせ時間をかけるなら、それこそが僕の仕事の本質になっていけばいい、と思った。文章を書くということは、取り組む意識次第では会話である。絵を描いてそれを見せるということも、会話である。それは、ひとりで作ったのちに作品にして差し出す、という一連の行為が、引き伸ばされた形の会話である、という意味である。
そう捉えると、受け取りやすい形にすることが何より大事である。もちろんこの日記はこのままの形でもいいんだけど、この日記、いや、文章を、本の形にして差し出す、ということも、それは僕にとって「人と実際に会話する」ことで満たしたい欲求の、もっと深部を満たす行為になるはずである。
2022年7月4日月曜日
陸続きで遠くまで行く
今日は奥多摩まで、カブで向かう予定だった。ジャグるライダーことせきやさんと一緒。しかし朝起きた時から、小降りとは言えない雨が降っていた。いまいち決めかねた態度で出発して走るうちに、うーむ、これは山に行く天気じゃないな、と思い、コンビニに避難して連絡をとる。どうしますかねぇ、と相談して、ピンとひらめいた。
ちょうどお互いの地点から中間ぐらいの所にあった、だいごさんの家に向かうことにする。いきなりだし、行って大丈夫かな、と思ったが、いいよ、との返事で、すぐさま向かう。ほぼ同じタイミングで到着した。
家でピザを頼んで、三人でつまみながらビデオを見る。友達の家に遊びにきた、という感じをじっくり味わった。
せきやさんの日本一周の計画について聞いたり、だいごさんのボールのためし投げをしたりする。だいごさんが、家で黙々とボールを作っている感じに触れると、同じ場所でずーっと仕事ができるの、いいなぁ、と思う。研究、という名がふさわしいことを積み重ねて、それが仕事にできるのは幸せだよな。
そのまま帰るのもなんなので、しばらく悩んだ挙句、大森の方にある海岸沿いの公園に行くことにした。初めて通話をしながら走ったが、とても面白かった。公園も向こうを飛んでいく飛行機が大きく見えて、都会の公園である、ということを開き直って堂々と魅力にしているような公園だなと思った。
東京にバイクで行くのは初めてというのでもないし、だいごさんの家の方には何度も行っているのだが、家に帰ってきた時、不思議と、旅を終えたような気分になる。
陸続きで帰ってくるのは、ハッキリと遠くまで行った気がして、いい。
少しリズムが乱れてきているので、明日からまた朝の森の生活を再開する。
2022年7月3日日曜日
たちが悪い
ここ数日、家にノミが発生していて、その駆除に追われている。実を言えばそのことで随分疲弊している。連日掃除機をかけて、洗濯できるものは少しずつ毎日洗濯して、撒ける薬剤は撒いている。
それでも、数日対策したくらいだとまだピョンピョンと跳ねるノミを見かける。憎らしい感情が込み上げる。やれることをやるしかないので、日々掃除する。
でもおかげで、掃除が毎日できる。逆に、今まであんまり掃除してなかったなぁ、と思う。
ノミは本当にたちが悪い。痒さも蚊の3倍ぐらい。それが長続きする。ようやく収まってきたけど、刺されて2、3日は夜も寝づらかった。
ゴキブリなんか可愛く思えるぐらい、ノミは本当にタチがわるい。
2022年7月2日土曜日
ベトナムコーヒー
今日の朝方、とてもやりきれない気分だった。何を希望として生きていけばいいのか全くわからないような気持ちになっていた。とりあえず外に出た方がいいだろうと思って、外に出た。バイクに乗って配達をしたけど、それでもあまりよくならかなった。むしろひどくなっているようだった。急遽友達を誘って、昼ごはんを食べた。ベトナム料理を食べた。生春巻きと鶏肉のフォー。とても美味しかった。食後のジュースとベトナムコーヒーも美味しかった。
コーヒーの底に沈んでいるコンデンスミルクみたいに、やりきれなさというのは、いつでもそこにあるなぁと思った。嫌な思いなんてない、と思っている生活も、その上にブラックコーヒーみたいに乗っているだけだ。時々溶かして一緒に飲むしかない。
でも食後のコーヒーを飲む頃には、生々しい気持ちは去っていた。ありがたい。そのあと、どこに行くかもよく決められずとりあえず生活綴方の方に移動した。そこで店番をしていたなかじまさん、もふもふさん、女性のお客さん2人と、パピコを食べながら話し込んだ。お客さんのうちひとりは近所に住んでいる、というから、今後もまた会うかもしれない。
※※※
文章によって、やりきれない時の感情を伝えることはとても難しい。というかそもそも、「伝わる」ということがない。あくまで、文章によって、受け手の脳の中に情景を喚起することしかできない。
だからこそ救われることもある、と思う。
2022年7月1日金曜日
コロナ禍で実は僕はちょっとホッとしたんだ
先ほど、チェコ共和国で開かれる「ロストチュ・フェスト」というフェスティバルのウェブサイトを見ていた。僕は2017年にこのフェスティバルに参加したことがある。その時は日本人のジャグラーの友人2人と一緒だった。その直前にポーランドで開かれていたイベントのEJCから流れてきた人もたくさんいて(僕らもそうだった)、とても楽しかった。
今改めてウェブサイトを見て、楽しげな参加者たちが映る写真をスクロールしていると、やっぱり行きたくなってくる。ヨーロッパにいるときの夏の空気を思い出す。本当に、まるでその場で、匂いを嗅いでいるような気がしてくる。それはそれは美しい思い出である。
今年だって、別に行こうと思えばどこへでも行ける。ただ、高い。往復で20万円前後だ。これは、今までの感覚からすると、ずいぶん高い。
しかしいずれにしても今行くのは違う、と感じている。そりゃあ、行ったら楽しいだろう。でも、どこか消費的な旅行になってしまうとも思う。
そしてはっきり言えば、僕は今までどこか消費的な旅をたくさんしてきてしまったと思っている。
お金をやたらに払ってきた、というのではない。2018年にはフランス、イギリス、ポルトガル、フィンランドと4カ国を巡ってヨーロッパに45日間滞在したが、航空券、イベント参加費、宿泊費、食費全てトータルで20万円も使わなかった。だいたい、僕は人の家に泊めてもらうか、安いゲストハウスに泊まっていた。友達もたくさんできたし、宿にいた知らない人と仲良くなったりもした。旅のことを文章にして書いて、それを読んでもらった経験もたくさんある。
とはいえ、基本的に僕は持ち出しで旅行をしているわけで、お金以外にそこで得たものもたくさんあるとは言っても、やはりその金銭的な損失を埋めるためにやったのは全然関係ない仕事ばかりだから、それがバランスを欠く行為であるように思えていた。
僕はその部分が気になって仕方がないのだ。
すべてが血肉になっている、という実感を持って家に帰りたい。「ああ楽しかった」だけだと、最終的に空虚な感じが残る。国なんか出ないで、自分の持ち場で淡々と自分のことをこなしている人に対して、萎縮してしまうような気持ちになる。
※※※
僕には夢がある。それは、どこの国に行くにしても、その国に行った時に通じる主要な言語を、大体不自由なく喋れる状態で出かける、ということである。もちろんその程度でその国や人を知ったことにはならないんだけど、対等に接するための道具を最低限持っていたい。そういう気持ちを動機にして、言葉を勉強したい。
言葉に限らず、今まで僕は、勉強や反省もそこそこに、中途半端な状態で海外にばかり行っていたなぁと感じる。外国に行きたい、という欲があまりに強すぎて、じっくり前準備と後の生産に取り組まないで、次々に出かけていた。
「行けるならなるべく多くの場所に行くべし」という強迫観念があった。
そこへきて、コロナ禍で実は僕はちょっとホッとしたんだ。ああ、これで、海外に行かなくても自分自身に言い訳が立つ。「何かを逃している不安」を埋めるための旅行をしなくて済む、と思ったのだ。
2022年6月30日木曜日
ちいさいワープロ
iPhoneをちいさいワープロだと認識して使う。消費者であるより、生産者でありたいと切に思う。無心になって画面をすいすいしていたことにハッと気づいて、あ、今幼児みたいに画面にかじり付いてたよ、実に情けないな、と僕はよく思う。メガカンパニーの戦略に、完全に体も心もハックされているよ、と思う。
すべては生産という名の抵抗をする手段だと、襟を正せ。インターネットは、侵略戦争なのだ。サービスが無料である時、企業にとっての商材はユーザー自身である。
自分でつくることは、抵抗である。オフラインでむちゃくちゃ作って、ただそれを広げるためにだけ、電信網を使うこと。
※※※
絵を描く行為と文章を書く行為とが、僕の中でシンクロしている。決まったサイズのキャンバス/文字数の中に、自由に形を描き/書き出す。「ハガキ大一枚」という制限があれば毎日スイスイ絵を描いてネットに載せられる。同じように、文章に関しても、自分が心地よいと思える文章を制限付きでとにかく書いて、それを次々に発表することが最高の練習になるはずだ。
では僕にとっての文章を書く上での制限は何かといえば、「発表をする」という行動が一つの制限性の付与である。書き終えて「公開」ボタンを押す、ということが一個のピリオドだからだ。
僕は、書くという行為によって、意識して作品をつくりたい。なぜなら僕はこの技術を一生かけて伸ばしたいからだ。
繰り返すが、文章を書いたら、ある程度の緊張感を持ってひとつの「作品」として人に差し出すこと。これが重要だと考える。なぜか。それは、人に差し出す、ということが、「気取り」と「背伸び」を促すから。
技術を伸ばすというのは、毎日ちょっとずつ、その支配領域を押し広げることである。そのためには、自分が自然にできることの、ちょっと先を見据えて、そこに辿り着こうと毎日試行錯誤しなければいけない。だから、小さくてもいいから作品にして発表することで、背伸びをするんだ。ちょっとだけでいいから、周りを意識するんだ。「どうせ大したものじゃないから」じゃダメだ。誰かから見たら大したものじゃないかもしれないけど、少なくとも自分にとっては面白いもの、大したものを作ってやるつもりでやることが大事だ。「気取らなさ」と「いい加減」を混同しちゃいけないよな。
(「森の生活」 6日目)
2022年6月29日水曜日
なんのための早起きなら
2022年6月28日火曜日
早寝早起き、朝執筆
毎日何かを書きたいと思う。でもいちいち書く内容について決めるのは面倒だ、と思う。
だから、日記という形を媒介にして毎日書く練習とする。日記ならば、とりあえず書き始めることができるからである。書き始めることができれば、あとは自然と広がっていく。無理に広げようとして広げるのではなくて、自然と広がるというのが理想だ。
そういう意味で、とりあえず書き始めることができる、というのは、創作において何よりも重要なことだ。僕はまた、こんなふうにして、さも創作というものがなんたるかを知ったふうな口ぶりだ。でもそれでいい。自分を卑下しちゃいけない。僕はこう思うんだ、ということは真剣に言わなくちゃいけない。責任を持って断定することは、信頼の基礎である。受けて立つよ、ということは態度で示せ。
日記を書くのは、一日の動き方を反省する時間でもある。できる限りこれは朝に書いたほうがいい。朝たっぷり時間をとって書くためには、早起きしなければならない。ということは、早く寝なければならない。だから、あんまり夜遅く人と会ったりするのも控えなければならない。そうそう、こういうことを自分の意識にのぼらせておくために、日記を書く。
昨日も朝からむさしの森珈琲に行った。連続3日目。今これを書き終わったら、また行く。昼過ぎに森を出て、少しウーバーしようと思った。でも暑すぎて全然やる気が出なかったからパス。昼ごはんを白楽の中華屋で食べる。麻婆茄子定食とミニラーメン。店内は賑わっていた。それから綴方に行ったら、砂田さんがいた。最近起きていることについて話した。本屋の二階に行くと、知っている人しかいなかった。集中して仕事をしていたKさんとも話す。僕の本を持っていたので、サインする。嬉しい。結局夜まで二階にいた。にゃらやのにゃらさんと他数人でホルモンを食べに行く予定だったが、日付を間違えていて、本当は明日だった。家に帰ったら、カップラーメンを食べて寝た。
夜に無性に寂しくなることがある。それも、さっさと寝て次の日朝早く起きて自分のことをたくさんやれば解決する。ことも、知っているのだが、いつでもできるわけでなく、まぁ、こういうふうに書くにとどめておく。
2022年2月12日土曜日
そうすると、すこしだいじょうぶ
2022年1月27日木曜日
2022年1月24日月曜日
毎日の修行
2022年1月21日金曜日
加藤典洋さん
養老さんの『ヒトの壁』を読んでいて、師匠だった加藤典洋のことが触れられていた。
大学時代に加藤ゼミ生として、つまり加藤さんが教授という立場だった状態で僕と接していた頃、僕はあまりうまい距離で付き合えていなかったのではないか、という気がしている。逆に、卒業してから会った時の関係性の方を、僕は好ましく思っている。
というのも、卒業してから1年か2年経って、彼のお気に入りだったキャッツ・クレイドルというカフェで小さな同窓会のようなものをやったのだが、その時の加藤さんは柔和な表情で僕を手放しで褒めてくれたのである。そんなことは学生時代、なかった。そしてそれはごく自然に出てきたものだった。
加藤さんはあまり大学に浸りきった人ではなく(教授会なんかもすごく嫌そうだった)、比較的自由な人だった。とはいえ僕は「指導をするべき学生たちの1人」としてそこにいた。
それに結局のところ、彼はやはり大学の中にいたから、授業(ゼミ)という場で会う加藤さんがそこで一番表面に出す個の側面は、「戦後の問題について考える人間」「文学批評に取り組む人間」であった。
だがカフェで会った時の、クロシェ帽を被った加藤さんは違う。猫やなんやらの話を山形の訛りで嬉しそうにしながら、アイリッシュコーヒーを飲んでちょっと上機嫌で、くふふふふ、と笑う、物静かだけれど陽気なおじさんだった。その時一番表面に出していた側面は、「生活者としての加藤典洋」だった。
僕は、批評や文章表現を学ぶ学生として、あまりいい学生だったとは思わない。
お互いに生活者として接した時の加藤さんの記憶が、僕の中では一番の思い出である。
今こそ、また会いたかったな、と思う。
2022年1月20日木曜日
新しいこと
2022年1月18日火曜日
感謝したいひと
映画や雑誌の最後にある「Special Thanks」みたいに、人生の最後に、この人は特に名前を挙げることで感謝したい、という人がいる。
ハッピーだ、という思いをたくさん共有してきた人にそう感じるわけだ。
人との関係って本当に色々あって、定型化は決してできないことの連続である。けどその中で後に残るのは、結局、あれが幸せだったなぁ、あれも幸せだったなぁ、ということである。それについて、特に記したいな、と思ったりする。
落ち込んだりなんだりするのは、結局、幸せであることに基づいている。
※※※
今日からしばし家に友人がいる。いつまでいるのかは知らない。家を出て、生活綴方に寄ってから、二子玉川に大吾さんに会いに行った。少しジャグリングをして、それからコーヒーを飲みつつ話をした。1時間弱話したら、池袋に移動して、バスに乗って新潟に来た。新潟は雪がたくさん積もっている。
2022年1月16日日曜日
いいないいな
このところ抽象的な絵を多く描いていた。最近、風景をまた描き始めている。
風景は、インプロで描く抽象的な絵と違って時間がかかる。
まず題材を用意するのに時間がかかる。iPhoneにある写真の中から、これは絵にしたいなぁ、というものを選ぶ。次によく構図を観察して、どういう法則で描いていくかを頭の中で少し吟味する。それから描き始める。描き始めれば、描き込むところもたくさんあるから、時間がかかる。
本当は、もっとシンプルな絵が描きたい。一つのルールに沿って描けていないのが歯痒い。
だが僕は、これまでの人生、絵なんかろくに描いたことのなかった人間である(漫画とか、描いていたけど、美術と日夜向き合っている人からしたら準備運動にも及ばないような量だろう)。
そんな人間が急に始めたことだから、甘い部分があるのは重々承知なんだけど、「まぁ、趣味だから」と逃げないで、とにかく「真剣にやってるんです」と笑顔で言うようでありたいね。もう、それだけだと思うよ。素人から出発する方法っていうのは。
(絵について #1)
2022年1月15日土曜日
(9)なりたいやりたい くあるとどーら - 15分で書けること
昨日すっかり何かを書いた気でいたのだが、書いていなかった。こういうこと、たまにあるんだな。
毎日その日ぐらし、というのか、特に決まったところに行くわけでもないし、その時々で、行きたいところに行き、やりたいことをやる生活をしている(その「やりたいこと」には当然、文字起こしだとか翻訳だとかの日銭稼ぎの仕事も含まれる)。
これからやることをいちいち考えているので、最低限やらなければいけないこと、というのをやり忘れることもある。まぁ、いいんだけど。
※※※
今日は、持っている50ccのカブ(プレスカブという)のメーター内のインジケーターの電球を変えた。ホームセンターに行って、電球とドライバーを買う(手持ちのものだと少し大きすぎた)。カバーを開けて、中のランプを引き出して、その電球を引っこ抜いて取り替えるというだけの作業。でもこれが自分にはできる、ということがとても嬉しい。またこの3速ランプというものがついていることでより走りやすくなるのもとても嬉しい。
※※※
こんなことは言う前にさっさと行動に移すのが吉なのだが、それでも言う。
思いついた面白そうなことを全部やりたいな。フランス語も中国語もイタリア語もドイツ語もスペイン語もフィンランド語も韓国語も英語ももっともっと上手くなって、ジャグリングを使った見せ物ももっと上手くなって、カブは、基本的なところは自分で好きにいじれるようになって、お金にはもっと余裕があって、面白い映画もたくさん見ることができて、何か日常で触れたことを言語化する修行をたくさんして上手くなって、倒立も上手くなって、絵ももっともっとたくさんの作品を描いて、本も自分で作るべきものは自分で作れるようになりたい。
2022年1月13日木曜日
(8)ギュッとしているのがいい くあるとどーら - 15分で書けること
東海道線で横浜から東京に向かう車内で、iPhoneで書いている。時間制限がいいのだ。
自分に何かしらの負荷をかけることに意識的でありたい、と思っている。
脳みそをギュッと絞り出すような体験を1日に一回すべきなんだ、そうだそうだ、とおもう。
人のことを考えてばかりいるのは、自分が課題に真剣に接していないからだ、と思う。
※※※
昨日の夜、久しぶりにディアボロを3つ回した。とてもいい気分。自分でもこんなことができるとは思わなかった、という気分がある。今持っているディアボロは、ドイツの会社ヘンリースものだが、最近買った3つのものは、どうも昔と素材が違うので、回した感じがあまり好みではない。
と、ずっと思っていたけれど、昨日改めて回してみると、これはこれで別に不足はないかもしれない、ともおもう。
僕は以前のヘンリースサーカス何を好きでいたのだろうか? たぶん、回していて気持ちがいい、重くて摩擦が大きいけれども、その分ゆっくりと動くことができる、ということが僕にとっての心地よいディアボロのあり方なんだろう。
2022年1月11日火曜日
雪掘り日記 - 十日町の古民家へ③「しゃけ、そば、最後の光」
昨日は夜10時前には眠りについていたから、朝もすっきり寝覚めがいい。
本当のところ、明け方5時には目が覚めていた。だが居間に行っても寒いだけなので、布団にもぐっている。じっとしていると、カリカリ、という音、なうー、とか弱い鳴き声なんかが聞こえてくる。そのたびに戸を少し開けて、猫がいるかどうか確かめる。いるときには、よしよしと撫でてやる。枕元にあるマスクに興味を持っていたので、ヒョイと動かしてやると、すぐに、頭を低く、腰を高くの臨戦体制になった。
8時に朝食。今日はご飯としゃけ。昨日はおにぎりだったから、今日は十日町の米をしっかり味わってもらいたくて、としのぶさん。こちらに来て、水とお米のおいしさに感動する。それでも十日町は新潟の中では水質はベストではない、とのこと。だけど横浜のアパート暮らしから比べたら比較にならないぐらい美味しい。
ご飯を食べてひと段落したら、上着と防水ズボン、長靴を着込んで作業へ。最終日の今日は、家の裏側の除雪も行う。かんじき(忍者が水上で履く「あの」靴みたいなもの)をはいて、新雪の上を歩いて行って、裏へまわる。雪はこんもりと積もっている。家の周り全体を高さ数m、すっかり覆っている。その上を歩くのだ。
本当は家の裏には、暖かい季節にはピザが焼けるような薪窯がある。それもすっかり覆い尽くされていた。その周りの雪をある程度どける。
裏がひと段落つくと、今度はまた表にもどってきて、道を少し広げたり、灯油タンクの周りをすっきりさせる。4人で行うとあっという間に雪はどけられる。全部で2時間半ほど作業をして、おしまい。最後に記念撮影。
お昼は蕎麦を食べにいく。すぐに行くと混んでいるから、というので少し家で猫と戯れてから。もう今日でお別れなので、いつもより入念になでなでしておく。
車で「清兵衛」という蕎麦屋まで行く。民家をそのまま蕎麦屋にしたようなところ。へぎそば、というものが出てくる。「へぎ」というのは、どじょうすくいのあのカゴのような器のことで、それで出てくるのがへぎそば、ということである。しんごさんが「蕎麦湯が美味しいんです」というので、食後に出てきた蕎麦湯を試したが、確かに、美味しい。どろっとしていて、つけ麺の後のスープのような、濃厚な味わい。
そこから、ジェームズ・タレルというアメリカのアーティストがデザインした「光の館」を見に行く。
車で少し山を登ったところにある。着いた時には2時35分。どうも受付に人がいない。しばらくすると女性が出てきて、説明してくれた。僕らはてっきり3時半が最終入館だと思っていたら、どうも締め切りは2時半であったらしい。だが、どこから来たんですか、というので、神奈川です、と言うと(僕以外にもう1人手伝いに来ていた女性も、川崎から来た人だった)少し考えて、「ちょっとでよければ」と言い、中を見せてもらえることになった。
「光の館」は、泊まって体験できるアート、という触れ込みである。和室の屋根が動いて、部屋の中まで陽が差してくる。ちょうど僕らが言った時には、十日町はすっかり晴れていて、四角い穴の空いた屋根から注ぐ陽光が、角ばった陰影を作り出す。お風呂やキッチン、外を巡る回廊も見せてもらったが、とても感じが良かった。僕はこういう上質な情報だけで満たされたシンプルな空間が好きなのだ、ということを認めよう、と思った。気候と、一緒にいる人と、それからガイドさんの親切心も手伝ってのことだとは思うのだが、とても幸せな気分だった。
最後に、十日町駅の近くにある、キナーレという施設に行く。MonETという名の現代美術館もこの施設の中にある。だが時間もないのでパス。
今回は、同じくキナーレに入っている「明石の湯」という温泉へ。結局、毎日温泉に入った。
1時間弱、そこでゆっくりしてから、最後は車で十日町の駅まで送ってもらい、そこから横浜への帰路についた。上越新幹線の中では、くたびれてぐっすり眠った。
※※※
この日記を仕上げている今、僕は横浜の家で、暖房の効いた室内でMacのキーを打っている。
iPhoneで雪景色の写真を見ながら、少しだけ、寒気を頭の隅っこで感じる。
これはまだ昨日のことだ。
まだ手では、雪の感触が思い出せる。
7匹いた猫たちの毛並みの感触も思い出せる。
2022年1月10日月曜日
雪掘り日記 - 十日町の古民家へ② 「トースト、雨、峡谷」
夜、寝る時は天井がとても高い部屋で寝る。小さめのファンヒーターをいれるのだが、なかなか温まらない。それでも、つけないよりはと思って、スイッチを入れて、足元を温めた。夜中、廊下を猫がなぁなぁ言いながら歩いていた。入りたいのかな、と思って戸を開けるのだが、フンフンにおいを嗅いでまたどこかに行ってしまう。
朝は8時に朝ご飯。目玉焼きとハム、トーストにサラダをいただく。コーヒーは昨日帰りがけに買ってきたミールクラフトというお店のコーヒー。しんごさんがハンドミルで挽いてくれたが、挽きが細かかったので、すごく濃いコーヒーが入った。
朝の9時には雪掘りの作業を開始。今日は、昨日掘ったところをさらに広げていく。まずは優先して、車道から家に至る道を広げていく。連休が明けたらまた大雪が降るというので、それまでできる限り道を広げておく。だんだん道具の使い方がわかってくる。大きく崩して、小さく放り投げていく。飲み物は、ペットボトルを雪の中に突っ込んでおいて、そこから飲む。
今日は猫は外に出さない。「邪魔だから」としんごさん。昨日は少しだけ外に出してやって、ちょいちょいと歩いていた。2時間弱やったところで、目処がついたのでお昼休憩。室内に入ると同時に雨が降ってきた。雨が降ると、寒いし、雪も重くなるので作業はしづらくなる。ひとまずお餅と豚汁を食べながらどうなるか様子を見たが、結局止まなかったので、十日町観光に出かけることにした。
清津峡、旧東川小学校跡、松之山温泉(「ナステビュウ」という名の施設)を回る。
清津峡は、峡谷に掘られたトンネルを進んでいくもの。旧東川小には、クリスチャン・ボルタンスキーの作品がある。松之山温泉、露天風呂からの眺めが良かった。5時ごろには、和食屋さんの「山愛」で早めの夕飯を食べる。店内では演歌が流れていた。なんだか年の瀬みたいな気分になってくる。カツ丼が一押しだったのでカツ丼を食べる。
まだ時間は早かったが、家に帰ると自由時間に。おやつを食べつつ、猫と戯れてから、少し作業をして就寝。まだ21時半だった。
明け方に、なー、と鳴く猫が何匹かいた。ちょこっと戸を開けてやると、少しだけにおいを嗅いで、ちょこっとだけ部屋に入るが、またすぐどこかに行ってしまった。
昨日とくらべると夜もそこまで寒くなくて、ヒーターが途中で切れたけれどそのままにしておいた。